急須で飲む茶文化の復権へ。体験事業、脱炭素・・・挑戦続ける「徳永製茶」社長 徳永和久さん
日本茶の飲み方が変わってきている。ペットボトル緑茶や抹茶が堅調に消費される一方、急須に湯を注いで飲むリーフ茶(茶葉)は減少傾向にある。リーフ茶の売上減は、製茶業界にとって大きな痛手だ。佐賀県嬉野市で茶製造・卸売業を営む徳永和久さん(47)は「急須でいれる茶文化」の復権を目指し、新たな挑戦に乗り出している。
〝茶匠〟の仕事とは?
ーー茶製造・卸売業は、“茶匠”や“茶師”とも呼ばれます。仕事内容がピンと来ないのですが、茶農家とは違いますか。
徳永さん 茶農家はお茶を育て、収穫したお茶を蒸し、あるいは釜で炒った後に、もんで乾燥させて「荒茶」を作ります。私たちは仕上げ工程を担当する職人です。仕入れた荒茶の特性を見極め、ブレンドする「合組(ごうぐみ)」をして、火入れ機で焙煎します。その際の温度が0.1度違うだけでお茶の味はがらりと変わります。ちょくちょく試飲して、香ばしさと旨味の加減を探り、求める味に追い込んでいきます。
茶産地のプロデューサーとしての役割もあります。新茶の時期には茶農家を回って「今日の荒茶のここが良かった」「蒸す時間や温度がちょっと長かったんじゃないですか?」などとアドバイスしたり、茶畑への肥料の入れ方について話したりすることもあります。
日本酒業界でいうと、私たちは造り酒屋や杜氏といったところでしょうか。
ーー茶業界の現状は?
徳永さん リーフ茶とペットボトルなど茶飲料の消費額が2007年に逆転しました。今やリーフ茶の消費額はその頃の3分の2ほどです。お茶は春に摘まれる一番茶が最も味がよく、高い価格で取引されます。初夏以降の二番茶、三番茶、四番茶となるにつれ、品質と単価は落ちます。ペットボトル緑茶の原料は主に三番茶や四番茶です。リーフ茶として使われる一番茶が売れないと茶農家や茶製造・卸売業には厳しいです。
抹茶ブームも影響しています。助かっている茶農家は多いですが、リーフ茶が主力の茶製造・卸売業にとっては・・・。荒茶の仕入れ値が高騰すれば、経営を圧迫することになります。
ただ、ペットボトル緑茶や抹茶をライバル視したり、否定したりしているわけではありません。ペットボトルは現代の生活にマッチした便利なもので、小学生でもコンビニで買ってくれるのは日本茶にとってはいいことです。私はペットボトル緑茶とリーフ茶の役割の違いをしっかり伝えたいです。
ペットボトル茶と違う魅力 「体験」で伝える
ーー役割の違いは何でしょうか。また嬉野茶の魅力とは。
徳永さん リーフ茶は、消費者がゆっくりと味を楽しんだり、くつろいだりする時間を提供してくれます。ペットボトル緑茶は持ち運んで喉の渇きを癒やします。役割は明らかに違います。
嬉野茶の魅力の前に、日本茶の歴史について説明します。
日本に中国からお茶が伝わったのは9世紀前半頃といわれますが、茶栽培が日本にもたらされたのは12世紀とされます。1191年に臨済宗の開祖・栄西が、中国(当時の宋)から持ち帰った茶種を佐賀と福岡の県境・背振山で栽培しました。嬉野には1440年ごろ、中国から嬉野に移り住んだ陶工(陶器職人)が持ち込みました。
嬉野茶は、旨味がすごく強いのが特徴です。日本のほかの地域の茶と製法が違うからです。
嬉野では、お茶摘みの10日ほど前から茶畑に覆いをして太陽光を遮り、まだ葉が若く、柔らかいうちに摘みます。葉が丸みを帯びているので玉緑茶と呼ばれます。一方、日本のほとんどの地域は、葉がもうちょっと育ってから摘む。葉が針のように真っすぐに伸びた煎茶です。より日光に当たっているので、葉のアミノ酸がカテキンに変化して味は渋みが出てきます。
嬉野茶は近代史でも大きな役割を果たしています。幕末や明治初期、日本の主な輸出品は生糸とお茶でした。長崎の茶商の大浦慶さんという人が外国商人と組み、嬉野茶を輸出しました。その収益で坂本龍馬や海援隊を支援したといいます。明治維新を資金面で支えたのが嬉野茶でした。
家業なので徳永製茶を引き継いだのですが、こうした歴史や製法を守らなければならないという気持ちが次第に強くなっていきました。
ーーそのために、さまざまな体験事業を始めたわけですね。
徳永さん 急須でお茶をいれる体験や、茶の産地や種類を当てるクイズをしたりしています。
急須の湯の温度帯によって、お茶の味は違ってきます。熱湯ではカフェインやカテキンが出て渋くなる。一方、ぬるま湯だと旨味が引き出せます。仕事の合間やリラックスしたいときはぬるめのお湯、目を覚ましたいときはカフェインを効かせるために熱湯で入れるといいわけで、日常のタイミングに応じた味の楽しみ方ができます。
インバウンドを含め嬉野温泉には多くの観光客が訪れますが、ただお茶を飲んでもらって終わりにしたくない。なにか面白い体験をしてもらい、「自宅でも再現したい」と思ってもらえれば、家庭での茶葉の購入につながると考えています。
やはり、お茶は急須で飲むのが一番おいしいのは間違いないです。
英国で「三つ星」獲得、脱炭素にも挑戦
ーー海外販売にも力を入れていると聞きました。
徳永さん いまや徳永製茶の販売量の1割は海外になりました。イギリスの紅茶をはじめヨーロッパではお茶を愛飲する習慣が根強く残っています。世界という広いテーブルに嬉野茶を提供していきます。海外展開に向けて、イギリスの格式ある食品審査会「Great Taste Awards」に毎年応募しています。2025年は「ゆず緑茶」と「抹茶」で最高評価の三つ星をとることができました。スロベニア出身の妻ヴェラのアドバイスにも助けられています。
ーー脱炭素の取り組みも進めています。
徳永さん 徳永製茶では、スコープ1(自社での火入れなどに伴う二酸化炭素の排出)、スコープ2(自社で使った電力を作るために排出された二酸化炭素)の両方でカーボンニュートラルを実現しています。
お茶の製造時にいちばんの排出源となる火入れ機(直火で焙煎する機械)は一度止めると、温度が下がり、次のお茶を仕上げるときに温め直す必要があります。予熱に使う燃料を減らすため、生産工程を見直し、なるべく連続運転するようにしました。
このような試行錯誤をして年間排出量の削減に取り組み、2024年度には2021年度比で約66%の削減に成功しました。削減しきれなかった二酸化炭素は森林系の排出権を購入し、排出を差し引きゼロにしています。お茶の種類によっては、製品ライフサイクル全体(農家の生産、製茶業での製造、配送、消費者の使用と廃棄)での排出ゼロも達成しました。茶業界ではおそらく初めてです。
いまやヨーロッパの消費者は、脱炭素といった持続可能な取り組みをしなければ目を向けてくれません。日本も少しずつそうなってくるでしょう。
消費者から共感を得られる産業にしていくことが重要です。嬉野茶のおいしさ、文化を日本のみならず世界に発信し、ひとりでも多くの消費者に満足してもらう。茶文化と伝統を継承する、というのが私たちの使命です。
ーーRYO-FU BASEの支援を受けてどう感じておられますか。
徳永さん 職員の方が気さくで、いろんなアイデアを出してくれて助かっています。何気ない会話から、アイデアの種が膨らんだこともあります。支援を受けたい方は、気軽に行くのがいいと思います。
徳永和久さんプロフィール
1978年、佐賀県出身。2002年学習院大学卒業、システムエンジニアとしてIT関連企業に就職。2004年、家業の茶製造・卸売業「徳永製茶」に入社し、2014年から社長。
企業概要
事業内容:嬉野茶の製造・卸・小売、茶体験事業
所在地:佐賀県嬉野市嬉野町
創業:1947年
従業員数:5人

