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土壌フローラが農業を救う!?土壌診断で無農薬・減農薬農業を支えたい。合同会社土壌診断用バイオセンサー研究会代表 橋本好弘さん

土壌フローラが農業を救う!?土壌診断で無農薬・減農薬農業を支えたい。合同会社土壌診断用バイオセンサー研究会代表 橋本好弘さん

記事:高塚保(株式会社毎日みらい創造ラボ) 土の健康診断で無農薬・減農薬・減化学肥料の土作りを支援したい――。合同会社土壌診断用バイオセンサー研究会の橋本好弘代表(65)によると、土の中にいる微生物の状態(土壌フローラ)を診断することで、その土が健康か、病害虫に対する抑止力が弱いかが分かるという。健康な土だと分かれば安心して次の作付けができるし、抑止力が弱いとなれば太陽熱土壌消毒やどのような堆肥を使うべきかアドバイスができる。経験や勘に頼る土作りからデータに基づく土作りをすることで、有機農業や減農薬農業の大きな手助けとなる可能性がある。国は2050年までに耕地面積に占める有機農業の取り組み面積を25%にまで拡大する方針を掲げており、橋本さんがもつ技術に有機栽培農家などからの問い合わせが相次いでいる。 退職して起業!安心安全な食を応援したい! 橋本さんは長崎市出身で、九州大大学院農学研究科で博士号を取得。2001年に種苗会社「株式会社サカタのタネ」に転職し、土中の微生物の状態をみることで土の健康度が分かるバイオセンサー装置の開発に、産業技術総合研究所、東京工科大と共同で取り組み、成功した。その後、会社の方針変更で装置の販売ができなくなり、退職後の2021年に装置の普及と土壌フローラ診断を広めようと合同会社を設立した。 ――どんな思いで合同会社を設立したんですか? 橋本好弘(以下、橋本)さん サカタのタネで微生物活用プロジェクトを立ち上げるということで転職し、検査装置の開発にまでこぎ着けました。しかし、リーマンショックなどの経済環境の変化や経営層の交代などで、サカタのタネではバイオセンサーを事業として展開することができなくなってしまいました。お蔵入りになってしまったのですが、サカタのタネを定年退職する際、当時作った装置を譲ってもらうことができたので、自分でこの事業をやっていこうと考えたわけです。有機農業への国内での関心が高まっていることもあり、安心安全な食の提供につながる農業を応援したいという気持ちもありますね。 ――橋本さんの土壌診断は他の診断と何が違うのでしょうか? 橋本さん 土の診断は大きく分けて三つあり、化学性と物理性と生物性があります。化学性は土のpH(酸度)や養分などのことで、これをもとに窒素やリンなどの肥料の量を判断するための診断です。物理性は土壌の水はけですね。排水性、通気性、保水性など物理的な状態をみます。通気性、排水性が悪いと酸素が土中に供給されず、植物の根が窒息して根腐れを起こしやすくなります。生物性というのが、私がやっている土壌微生物診断になります。肥えた土や肥沃な土と呼ばれるものは、有機物や微生物を豊富に含んだ土のことをさします。これらとは別に病原菌を見つける方法もあります。コロナ禍の時によく出てきましたがPCR検査や抗体検査などですが、見つけられる病原菌は限られています。 【畑から採取した土を診断するために水に溶かす橋本さん】 ――土壌診断は何がいいのでしょう? 橋本さん いろいろな診断はあるのですが、土の健康状態が分かるのが現場の農家の方々には最も役に立つと思うんですよ。人間でもインフルエンザが流行っていても感染する人としない人がいますよね。抵抗力が弱まっている人は感染する。植物の場合、土壌に抵抗力があるのか、そうでないのかが、農作物が病気になるか否かに関わってきますので、土が健康かどうかをみるのが大切なんです。ですので、農家の方にとっては土の健康状態、土壌フローラの状態を見ておくことに大きな意味があります。 ――有機栽培に限らず、診断には意味があるということですね。 橋本さん そうですね。有機栽培に限らず土壌の状態を知っておくことは意味があります。農薬や化学肥料を使っている農家さんでも、使用量を減らしたりすることにつなげられると思います。 ――価格的には利用しやすいのですか? 橋本さん 他の土壌診断では1回の検査が3万円というものがあります。私たちは1回3,000円で提供していますので、価格で言うと10分の1です。大きい会社や法人であれば3万円でも支払うことができるかもしれませんが、私たちは大規模なところではなくても使ってもらいたいという思いから価格はできるだけ安くしたいと考えました。 【最新のバイオセンサー。佐賀県からの補助金を活用して開発した】 実際に土壌診断を利用している有機JAS認定農園の久保利雄さん(71)と南昭彦緒さん(64)にも話を聞いた。 ――橋本さんのバイオセンサーはどうですか? 久保さん 10月23日に検査に出したのですが、翌日には検査結果が出てきました。結果が早く出るのでいいですね。 橋本 土1グラムに100億を超える土壌微生物がいて種類も多いものですから、それを1個1個分けて調べるときりがないんですね。なので、外から入ってくる微生物に対してどれだけ押さえ込む力があるかをバイオセンサーでは診ているんです。個別の微生物がどれだけいるかは調べず、全体としてどれだけ押さえ込む力があるかを診ています。ですので短時間で診断できるという利点があります。 ――診断結果を踏まえて、久保さんはどうされたのですか? 久保さん 私の畑は米ぬかを主としたぼかしを肥料として使っており、それでずっと育ててきた。それがいいのか、悪いのか、地力があるのかないのか、分からないわけです。同じハウスの中で、1年でカボチャ、カボチャ、スナップエンドウと栽培していて、その繰り返しでした。今回は診断結果を踏まえて、橋本さんのアドバイスもあり少し牛糞堆肥を入れてみます。家畜の堆肥は一度使ったことがあるのですが、スナップエンドウの先のところに小さい虫が入ってしまった。そういった経験があったのでなかなか使えなかった。 ――今回は大丈夫ですか? 久保さん 牛糞堆肥の加減でしょうね。それを橋本さんと相談しながらやっていきます。 橋本さん 人間と一緒で土壌微生物にとってもいろんな物を食べさせた方がいいんですね。 ――南さんはバイオセンサーの何に期待していますか? 南さん 窒素、リン酸カリが足りませんから窒素を入れて下さいよ、というのであれば、化学性診断をやり化学肥料を使えばいいのですが、有機栽培ではそういうわけにはいきません。化学肥料は使えないわけですから。だからバイオセンサーで土の状態を調べる方が、有機栽培には向いていると思います。 橋本さんの合同会社の収益は3本柱。これまでのところ、収益の柱で一番大きいのは肥料資材メーカーからの依頼による栽培試験だそうだ。橋本さんの畑でブロッコリーなどの栽培試験を行い液肥の効果を評価している。二つ目は土壌分析で、今後はバイオセンサー装置の販売も手がけていきたいと考えている。 ――その中でもとりわけ強化したい分野はどこでしょう。 橋本さん 農家さんが手軽に使える診断をみんなに使ってもらい役に立ちたいですね。 妻の橋本禎子さん 農家さんとりわけ有機農家さんの力にきっとなれると思うんですね。健康で安全な作物を栽培する力になれると思うので、そこを強化していきたいですね。 橋本さんは佐賀県が行っているスタートアップ支援事業に応募し、積極的に活用してきた。ビジネスを創出するStartup Gateway SAGAを2022年、資金調達に向けた磨き上げを行うStartup Boost SAGAに2023年8月から参加しており、関係企業などとのつながりを構築するStartup Connect SAGA、PR・広報などを学ぶStartup Promote SAGAにも2023年6月から参加している。 ――佐賀県のスタートアップ支援プログラムを受けてこられてどうでしたか。 橋本さん まずGatewayではアワードを受賞でき、今年度は「Startup Launch事業化補助金」にも採択され500万円の補助金を交付いただいています。これでバイオセンサーの新しい装置を作っており、年度内に完成する予定です。また、ホームページもリニューアルしたことで、以前より問い合わせも増えました。さらにConnectでは「もう少し微生物を分かりやすく説明した方がいい」という指摘もあり、土壌微生物をキャラクターにして微生物の役割を分かりやすく説明するといったことにも取り組んでいます。一人ではこれだけのことはとてもできなかったでしょう。支援とアドバイスがあってここまでこれたと思っています。 橋本好弘さんプロフィール 1959年長崎市生まれ。九州大大学院農学研究科で博士号を取得。2001年に種苗会社「株式会社サカタのタネ」に入社。2020年サカタのタネを退職。2021年土壌フローラ診断を広めようと合同会社土壌診断用バイオセンサー研究会(SDB研)を設立した。

佐賀型支援プログラムに他県も注目  スタートアップを数々輩出

佐賀型支援プログラムに他県も注目  スタートアップを数々輩出

佐賀県が取り組むスタートアップ支援プログラム「Startup Ecosystem SAGA」。数々のスタートアップが誕生し、ビジネスコンテストで入賞するなど輝かしい成果を出している。なぜ人口が少なくIT産業が集積しているわけでもない佐賀から起業家が生まれているのか。その謎を探ろうと他の自治体からの視察も絶えない。佐賀のスタートアップ支援の魅力と独自のやり方について、支援プログラムの立ち上げに関わり、伴走支援の先頭に立つ佐賀県産業労働部の北村和人産業DX・スタートアップ総括監とプログラムの卒業生ら4人に話を聞いた。 座談会参加者(五十音順) フラワー教室Noutje(ノーチェ)主宰 實松千晶さん 株式会社Retocos代表取締役 三田かおりさん 株式会社SA-GA代表取締役社長 森山裕鷹さん 合同会社Light gear代表 山本卓さん (聞き手・株式会社毎日みらい創造ラボ 高塚保) 左から山本さん、實松さん、北村さん、三田さん、森山さん 技術は道具 困っている人に提供して初めて価値が生まれる ――まず4人に起業のきっかけからお聞きしましょう。 山本卓さん 佐賀県で地域おこし協力隊をやっている時に、定住したいという気持ちが出てきたことがきっかけです。就職するか、起業するかと悩んでいたのですが、周囲から「そろそろ起業してもらえないか」と言われて、よく分からないままに起業したという感じです(笑)。もともとテレビ局でディレクターをやっており、映像制作の相談を受けることもありましたし。 ――不安だったのでは。 山本さん 勢いで起業した面が強かったので、不安はなかったです。だから、今が逆に不安が多いというか(笑)。生活どうしようとか、どうやって売り上げを伸ばそうかとかですね。起業から1年ぐらいたって不安が出てきました。 實松千晶さん 花の仕事を15年ぐらいしていて、自宅でレッスンをスタートしました。少しずつ生徒さんが増えていったことで、7年前に開業届を出しました。「税金を納めます」という宣言ですね。開業しましたが、今はまだ個人事業主で細々とやっているという感じです(笑)。 三田かおりさん 前職はJCC(ジャパンコスメティックセンター)という一般社団法人に勤めていました。期間限定の仕事だったので、そこからNPOを立ち上げて、自分の事業をやろうと取り組んでいました。そんな中で、Startup Gateway SAGA(佐賀県の6本のスタートアップ向けアクセラレーションプログラムの一つで、事業創出をテーマにしたもの)に採択され、NPOにとどまらず、株式会社も設立すべきだと考えが変わりました。何が目的かを問われたことが大きかったです。NPOは環境保全や、みんなのために立ち上げた事業でした。しかし、それだけだとお金が稼げないし、補助金頼みになってしまいそうでした。私が拠点にしている高島(唐津市の離島)の課題解決を考えたときに、島の経済を活性化し、地域社会を再構築しないといけない、そのためには一過性の特産品やイベントじゃ限界があるので「産業」を作らないと、と考え、株式会社を設立しました。 森山裕鷹さん 私は佐賀大学に籍があるのですが、起業したのは5年前です。2023年9月に丸5年を迎えました。学部4年生の時に会社を作りましたが、きっかけは、その年の4月に研究室に配属され、環境が大きく変わり、外部とのつながりが増えたことがあります。夜も寝ずに研究に取り組み、最初の半年、4本の特許を出すといったようにとにかく技術にのめり込んでいました。そんなある時、「外部の方から仕事を受けられそうだ」という話が研究室にあって、「会社があれば先を見据えた連携もできるのではないか」と思いました。当時は人工知能による画像認識をやっていましたが、僕自身が「ブロックチェーンを事業化したい」という思いがあったので、そういう流れの中で会社を作り、仕事を受けてみようと考えたのが最初です。山本さんもさっき言っていましたが、思いついてから2カ月ぐらいで、あまり考えずに箱ができたみたいな感じでした。ですので、今の方が圧倒的に不安で、夜眠れるかなというぐらい不安な中でやっています(笑)。 山本さん 本当にそうですよね(笑)。 森山さん 楽しいですけどね、不安も多いと。 ――起業したときは何をやる会社だったのですか。 森山さん 主に僕が開発したものを佐賀県内の工場や事業所に納品していました。最初に話があったのは徘徊している老人を探すプロジェクトで、人工知能を使った画像解析エンジンをつくることでした。対象となる徘徊している老人の服装、特徴を学習して、監視カメラの画像からその人が画像の中にいたら自動で識別して探すことができるというエンジンを街中に配置し、カメラにその人が映ったら知らせる。老人の画像を配って探すとなると個人情報に触れることになりますが、エンジンとかシステムであれば個人情報を守りながら人を探すことができるのではないか、と。これは技術提供で終わりました。 ――事業をすることの楽しさ、やって良かったことは。 森山さん 課題解決に楽しさを感じています。情報技術が武器で、提供できるもの。でも、その技術は道具でしかなく、困っている人に提供できて初めて価値が生まれるんです。その楽しさを味わえていると思います。今、小中学校に情報システムサービスを提供していまして、これは小中学校が保護者から集める給食費、教材費を代わりに集め、納入業者との間での決済まで自動で行います。これによって先生たちの事務負担が6割ぐらい軽減されました。 ――なぜ今の事業を始めようと。 森山さん 4年前になりますが、画像認識AIを商品にして売っていこうとある時、学校に行ったんです。学校の事務室では監視カメラの映像が見れますが、設置されているだけでは意味がないですから。転倒した子どもがいるとか、具合悪そうにかがんでいる子どもがいるとか、それを自動で分かるようにしませんかという提案に行ったんです。でも、その時に「それも悪くないけど、集金に困っているんです」と言われました。集金の管理ですね。しっかりしたシステムを作ってくれたら使いたいと言われ、しばらくして持って行ったのがきっかけでした。 「なぜ事業をやるのか」何度も問われ、考えた ――三田さんは今、どのような事業を展開しているのですか? 三田さん これまでは島の自然を生かしたオーガニックの原料供給が中心でしたが、最近、 プライベートブランドを立ち上げました。原料を栽培する土を作るところからやって、そこから最終製品のお茶や化粧品などまで作れるようになったんです。使ってくれる人も増えてきて、商品を出すことでエンドユーザーとつながることができ、エンドユーザーがくつろげる時間を作ったり、健康を支えたりということに関与できるのが面白いなと感じています。これまでは島の原料の訴求をして、原料を会社に買ってもらっていましたが、ようやく自分の商品を出すことができ、受け入れていただいているのがうれしいですね。次はコミュニティをつくるところを目指して活動していきたいなと。 ――コミュニティですか? 三田さん きちんとした言葉で言うと「関係人口を増やす」ということでしょうか。商品に触れることを通じて高島に来てもらったり、環境に関心を持ってもらったりしたい、ということですね。最初は本物のオーガニックコスメを作ると思っていたのですが…… 北村和人さん 普通の人はビジョンやWhyから入ります。森山さんのさっきの話にもWhyがありましたね。なぜ、それを始めたかのか。学校現場で困っている人を助けたいからだと。 三田さんはないんですよ。ただ、ない中で、原料供給で勝とうとやってきたが、プライベートブランドを作りエンドユーザーに触れたことで、自分の世界観が広がり、ここから自分の価値を伝えていけると思ったのだと感じます 三田さん ちょっと違います(一同笑)。最初は原料供給でいこうと思っていましたが、それではNPOの時と同じで、それだけで終わってしまう。県の事業に採択され、「なぜ事業をやるのか?」を何度も問われ、考えさせられました。その結果、事業を大きくするという観点からしたら「自分の商品を作り、エンドユーザーに届ける方が市場も確立できる」と考えるようになったんです。 山本 すごい! 北村 起業家っぽくなりましたね! 三田 ようやくですよ(笑)。今は旅館のアメニティーで、オーガニックのシャンプー、コンディショナー、ボディソープを作っています。他にお茶、ハーブティーもやっており、お香も出します。日本のアメニティーブランドで、オーガニックで香りが良くて、という商品がなかなかなくて、市場もまだはっきりとはできてないんです。だからって、無名の私が作っても誰も買わないじゃないですか。すると、まずは触れてもらうのがいいと思っていまして、「だったら旅館やホテルに置いてもらおう!」と考えました。クオリティーには自信があるので、使ってもらえたら買ってもらえるだろうと。 ――米国に行った際に驚いたのは、量販店のスーパーでも、シャンプーなどはオーガニックの品揃えの方が多かったです。日本ではまだまだですよね。 三田 市場があまり開拓されていないんですよ。 北村 そこに三田さんがチャレンジするんですよね! 三田 そうです!(笑)なぜオーガニックが良いのかを掘り下げたい、消費者に問いたいですね。 北村 オーガニックであるのが普通だと。 ――私はケミカルのシャンプーを使うと、頭皮が痒くなります。 三田 そんな方に朗報なんです!肌が弱い方に安心して使っていただけるというのもあります。でも、肌が弱いからオーガニックがいいですよね、というのも少し違うんですよ。本当に自分の肌に合うもの、オーガニックだから良いではなく、合うものを使って欲しいなと思います。 自分のミッションを追求し 文化をもっと広げたい ――實松さんはなぜ花を? 實松さん オランダの生花店でアルバイトをしたのがきっかけで、お花を始めました。ただ、今は生花ではなく、アーティフィシャルフラワー(造花)やドライフラワーを使っています。私はこちらにすごく可能性を感じていて、枯れることがないので、例えばふるさと納税の返礼品や、商業施設の空間装飾にも需要があります。造花のクオリティーが上がっているからこそ、さらに仏花などいろいろな可能性があると思っています。県のアクセラレーションプログラムは三田さんと同期でした。「このままだとお花のレッスンだけやって終わってしまう」と感じていて、「チャレンジしたい」、「いろいろなつながりを持ちたい」というのをきっかけに、県のプログラムに応募しました。 北村さん 自分の世界を広げたいということですよね。 實松さん オーストラリアを1年間ヒッチハイクで回ってきました。肌は真っ黒で裸足で生活していました。オーストラリア人は結構、裸足なんです。安宿にずっと泊まってですね。その時にチャレンジ精神とか、自分なりのミッションとかビジョンを追い続けるということを身につけたと思っています。 ――今、どんなミッション、ビジョンを持っているのですか。 實松さん 造花は安いと思われています。クオリティーは凄く高いのに、「造花でしょ?」と言われてしまっています。でも、本物と見まがうような造花もあるし、そういうのを見てもらうきっかけをつくり、もっと広げたいです。造花をうまく使いこなして、日常に花がある生活とか、文化を根付かせたいんです。 何もないから何にでもなれる冒険する企業 ――山本さんの仕事も説明してもらえますか? 山本さん もともとは映像制作です。事業としては映像制作のほかに、「音無てらす」というコワーキングスペース、キャンプ場運営の3本柱です。さらに他にもコンサルティング、よろず支援拠点、農村ビジネス支援などにも広がっています。「写真を撮りに行って思い出を残す会」というのもやっていて、この間はおじいちゃん、おばあちゃんと写真を撮りに行きました。あとは、「未確認生物を探すプロジェクト」もやっています。地域の方とプロジェクトを立ち上げるイベンターのようなことかもしれません。音無てらすは、皆さんがチャレンジしたいことを形にする場なので、伴走支援のようなこともしています。「山本っ て何やっている人?」と言われるように、仕向けているところもあります。もともとは大阪で役者をやっていました。そのきっかけも、引っ込み思案で人と話せなかったので、「どうにかして他人と話せる人に変わりたかった」ということだったんです。事務所に飛び込み、舞台に出てみたら、「荒療治」みたいになって治るんじゃないかなと。高校卒業と同時に役者の事務所も卒業して就職したのですが、みんながテレビに出ているのを見て悔しくなり、会社を辞めて役者の道に入りました。関西ローカルでCM、ドラマ、ラジオに出させてもらい、東京にも出ました。今も当時のそういったものに共通するところがあって、起業したのも、「山本卓という人間を周りが面白がってくれるのは何だろうか」と。幼なじみには「あんなにしゃべられへんかったやつが起業した」というだけで面白がられる、だからやってみようとか。映像制作もただ撮影するだけでは面白くないので、テレビ局でディレクターをやっていた経験を生かして、ディレクションを一緒にやって面白くしていきたいなと。なので、いろんなことをやっています。北村さんには「1個に絞れ」と言われるんですが。 北村さん 全部ひっくるめて1個ということで諦めました(笑)。 山本さん 未確認生物・冒険・研究所というのを子どもたちとやっているのですが、その子どもたちは僕がディレクターをやっているなんてことは全く知らなくて、彼らにとって僕は「隊長」なんです。「隊長、こんな生物いました!」とかね(笑)。場所によって肩書は変えていいと思っていて、ただ、1個1個の仕事にはちゃんと集中しないといけません。 ――ミッションとかビジョンはあるんですか? 山本さん 冒険する企業。何でもチャレンジしている。未開拓の地に行くみたいな。 北村さん 「暴走」がいいよ(笑) 三田さん 「暴走する企業」がいい!(笑) 山本さん 「自分自身って何だろう?」と考えたときに、「ほんまに何もない人間だな」と。無だなと思った時に、仏教の方から「人はトンネルみたいなもの」と聞きました。トンネルは何もない空間、入り口から出口までの空間をトンネルというんですね。人は山を掘り、コンクリートで固めたものをトンネルといいますが、本来は空間だと。周りがイメージとして決めているだけで、それに今の人は左右されすぎていると。もっとシンプルに何もない空間みたいなもので、何にでもなれる、肩書もいろいろあるからそれでいいんじゃないといわれてからすごく楽になりましたね。無というのがスッと自分で、音無という名前も地名から取りましたが、今は自分を形にしてもらえた名前だなと思います。 旗を揚げれば面白い人は集まってくる ――北村さん、なぜそもそもスタートアップ支援事業をやろうと考えたんですが。 北村さん もともとは、実は案外、否定的だったんです。昔から役所には「創業支援」みたいなものはあるんですね。ただ、役所の産業振興は普通、「できあがった企業」を相手にします。できあがっているからターゲットははっきりしている。しかし、これからビジネスを始めようという人はどこにいるのか分からないんですよ。「そういう仕事は手探りだし、始めてもモノにならないだろう」と最初の頃は思っていました。10年ぐらい前ですかね。なぜ変わったかはよく分からない(笑)。ただ、今、佐賀県には他の自治体からの視察も多いですが、だいたい、私が10年前に思っていたようなことを他の自治体さんもおっしゃるんです。先日も、視察に来た関東の方が「自分の県は東京に比べたら田舎なので、スタートアップとかやっても出てきませんよ。東京から誘致するしかなくて…」と言うんですね。でも、私達から見たらそちらの方が佐賀より断然、都会なんです。そこでもやれないなら、うちなんて話にならない(笑)。でも、実際にやってみた経験からすると、旗を揚げれば意外といろんな人たちが集まってきますし、地方だって捨てたもんじゃない。何がきっかけか覚えていませんが、5、6年前に、やってみるかという話になったんですね。「スタートアップをゼロからなんてないわ」ということと、もう一方で「IT産業の振興」はやっていたので、IT系のスタートアップ支援のようなことをまず、始めたわけです。森山さんがちょうどこの端境期にいた人で、やってみたら案外、こんな人がでてきた。であれば、しばらくやってみたら他にも出てくるんじゃないかというのでやってみたら、ご覧の通りです。なのでやってみるもんだなと。 やってみて思ったのは、こういうことを役所がやると、東京とか福岡はそうなんですが、ほぼほぼみんなITなんですよ。ところが佐賀はみんなやっていることが違う。この4人、みんなやっていることが違うでしょ。これは多分、田舎だからなんです。田舎はマーケットよりも課題の方に近いので、そこから見えてくるものをビジネスにするという方向感の方が掴みやすく、結果、多様なビジネスが芽吹きやすい。そこからさらに花が開くかどうかは別ですが、少なくともつぼみにはなる。そういう多様性は都会のスタートアップシーンではなかなか、見かけないと思います。もう少し時間がたち、皆さんが活躍するようになると、世間が「層が厚い」と言ってくれるかもしれません。そうなればしめたもんですね~というのが今のフェーズかと思っています。 Whyの深掘りで自分軸の大切さを知る ――皆さんは佐賀県庁産業DX・スタートアップ推進グループのプログラムにどんな期待を? 三田さん HowとかWhatを教えてもらえるものと思っていました。「どうしたらうまくいくのか」、「どう広げていくのか」を教えてもらえると思っていました。でも実際は、Why。Whyの深掘りができたというか、なぜやるのかをたくさん考える時間をいただけたなと。 北村さん 何でなんだよ、何でなんだよとむち打たれてましたもんね。 三田さん 地域貢献がやりたいのかとか。 北村さん そんなことを毎日やっていましたね。 ――Whyを問われ続けて、どうでしたか? 三田さん 「何でやるのか」、「何を実現したいのか」、「どうなりたいのか」の深掘りをするようになりました。以前は「人のために」、「地域のために」と考えていましたが、株式会社にして自分の事業としてやる以上は、自分軸で「自分がどうあるべきか」が大事なんだなと思い、「自分のビジョンに共感してくれる人と一緒にやっていく」という考えに変わりました。それでスッキリしたというか、周りにどう思われようと自分がどうあるべきか、自分がやるべきことに忠実になったと思います。 北村さん 昔は「島の人からこう言われたらどうしよう」とか、そんなことばかり言ってましたもんね。「そこを悩んでも仕方ないよ」という話をしましたね。ビジネスとして研ぎ澄まされました。 ――一方で巻き込むことも必要ですよね。 三田さん なので、アプローチが逆になったという感じです。最初は「皆さんのためにやっています」でしたが、「このビジョンを達成したいです、それに共感してくれる人は?」というようにアプローチが逆になったことで、むしろ外から共感していただけることが増えました。ビジネスコンテストに参加してみたら意外と評価をいただけた。先程の北村さんの話ではないですが、田舎でやると深く掘り下げることができるし、市場が近くにないのでどう遠くに届けるか、かえって大きなスケールで考えないといけないところもあります。プログラムに参加していろいろな人と出会えました。ビジネスを大きくしていくライバルでもあるけど、同志でもあると感じています。 北村さん ある都市部のスタートアップ界隈に出入りしている人と話していたら、そこのスタートアップコミュニティは嫌だと言うんですね。足の引っ張り合いが結構あると。それは都会のように人が多いコミュニティだと、かえって同じビジネスをやっている人達同士が集まりやすいからなんですね、たぶん。同じビジネスをやっていたら、他人を蹴落とすことが自分の利益になる。しかし、佐賀ではみんな違うことをやっているので、そうした足の引っ張り合いにはなりにくい。同期が違うビジネスをやっていて賞を取ったとか大きな案件を決めたとか、そういう競争はあるようですけどね。 三田さん そうですね、応援してるし、同じ悩みもあるし、、方向性は同じだし。 北村さん いやらしいところがなくて、競争できるというのがここにはあります。そこが面白い。 ――同じ業種はない方がいいんでしょうか? 北村さん あってもいいと思います。ただ、あまりに多くなってくると、例えば「同じ案件を目の前にぶら下げられたらどうなんだ」というのがありますし、役所にしても10社も20社もあると「公平性」を考えないといけないのでやりづらくなるところもあるでしょう。佐賀くらいの規模だとそういうことをあまり気にしなくていい。ちょうどいいくらいの規模と思います。 ――森山さんは県庁のプログラムに何を期待していましたか。 森山さん 起業したのが22歳の時でしたから、人間として未熟というのがベースとしてあって、社会に一度も出たことがない。社会を知らない中で、自分のやりたいことだけで突き進んできてしまった。北村さんたちに出会った時は、補助金をいただきに来たというのが最初でした。当時、太っ腹でいまだとありえない補助金を弊社はいただけた。2年間、それをいただきました。当時のプレゼンで僕はまあ、大それた事を言っていました。 北村さん 「俺が金融を変える」みたいな。 森山さん 事業としてはまともな評価はいただけていなかったと思いますが、人間性とか今後の成長という意味合いで関わってくださっていると後になって感じました。その後、2年ぐらいは県庁と関わってないんです。ところが、事業が広がってきたのに、ぜんぜん仲間はいないし、支援してくれる方もいない。「困りました」と恐る恐る北村さんを頼ったんですね。「Startup Connectに出してみたら」ということで、応募してみました。北村さんの叱咤激励を感じました。 三田さん 叱咤、叱咤あるよね!(笑)激励はあまりない(笑)。 北村さん 激励ばっかりだとやっぱり効かないって。 森山さん そこから僕は未来が見えるようになりました。まだまだ発展途上でマイナスみたいなところもあり、土日も含めて支援をいただいています。 課題投げられ、しこたま考えて解像度を上げる ――山本さんは? 山本さん 最初は2020年の「さがラボチャレンジカップ」というビジネスプランコンテストでした。誘われたので応募したのですが、書類で落とされて「何なんだ」と思いましたね。 三田さん 誘われたのに落とされた!(一同笑) 山本さん それがあって、「そういうものにはもう応募しない」と思っていました。その後、よろず支援拠点で働いているときに、「チャレンジしてみたら?」と言われたのですが、「去年落とされたので嫌です」と断りました。ただ、「そう言ってもらえるのならばやってみよう」とチャレンジしたんですね。さがラボチャレンジカップにもう1回出て、最終プレゼンまで行って、皆さんがしっかりと事業でプレゼンしている中、僕は「音無てらすでこういうことをやりたい」、「コミュニティが大切です」みたいなプレゼンでした。この時も落ちたのですが、楽しかったんですね。その時に、「アクセラレーションプログラムもあるから参加したら」と言われて参加したんです。行ってみたら、知識ないから、勉強すること全てが面白かった。課題を投げかけられ、しこたま考える。それを繰り返したので、音無てらすの解像度があがっていきました。この時、音無てらすは土地だけ買った状態で建物はまだ建っていませんでした。妄想でしかなかったです。どうやってこんな僕を支援するのか、それも難しいような状態です。アクセラがなかったら方向性が見えなかったと思います。ゆっくりしてもらえる空間ぐらいのイメージしかなかったんですが、来てもらった人にどういう価値を提供できるのか。自分がやりたいことで提供できる価値ですね。 北村さん 「あなたのためにやってあげます」だと、行き詰まったときに、「あなたのためにやっているんだから」と自分ではなく他人のせいにしてしまう。 ――ビジネスは人のためではありますが、自分もないとダメなのですね。 北村さん 他責と自責ということだと思うんですが、「あなたのためにやってあげています」だと、行き詰まったときに、「あなたのためにやってあげているので、あなたがやって下さい」という言い訳に陥りやすい。役所によくもちこまれるのが、「地域のためにやっているのでお金をください」というのがあります。そうではないんですね。「いいことをやっていればお金がもらえる」とか、「誰かが助けてくれる」ではないんです。そのこと自体を自分がやりたい。自分がやりたい未来、つくりたい未来に対して、周りにコミットしてもらうことなので、自分の責任というのがなければいけないんです。いいプロダクト、サービスがあり、「みんなのために良いと思うので使ってくれませんか?」というのは他人ごとになってしまっているので、壁にぶつかった時に乗り越えられない。壁にぶつかったときでも乗り越えられるような強さを持つには、まずは自分が軸にないといけないと思うんですね。ここはみんな言いますね。 實松さん 私もさがラボチャレンジカップで書類審査は通って、でも、プレゼンしたらダメだったんです。その時にアクセラを紹介してもらったのがきっかけで、参加しました。私はお花の先生で、唐津でただアトリエをやっているような人間だったので、アクセラで向き合ってもらえたのが本当にありがたかったです。いろいろなアドバイスをもらいながら、自分が本当にやりたいことを考えています。法人化も考えますが、「大切にしているものって何だろう」と考えたときに、法人にするのが一番いい選択なのか、このままの方がいいのか今だに悩んでいます。皆さんが挑戦している姿を見て刺激をいただき、悩んでいるときにアドバイスをもらえる環境があるのは本当に助かります。 ――どう考えるのか、その手法、そういうアドバイスがあるんですね。 實松さん そうですね。いろんなアイデアを出してもらえますし、考える選択肢を提供してもらっています。 北村さん 都会だとチャレンジしている人がたくさんいるので、自分からそういう人達が見えやすいのは事実なんです。でも、田舎だと孤独だと思うんですよ。例えば「お花の教室だけで終わらせたくない」と思っているような人は、身近にそんなにいないでしょう。でも、そうした時に、ここに来るといろんなことをやっている人が見えるのが良いところだと思うんです。プログラムでえられる知識、情報ももちろんいいのですが、そこに集まってきている人たちの相互の関係性、平たく言えば、コミュニティが大きいと思います。 山本さん コミュニティ、めっちゃ、でかいですね。 ――佐賀県庁は「佐賀から県外へ!世界へ!」という目標を掲げていますね。 北村さん 「東京とか福岡ばっかり見なくてもいいんじゃない」とか、「国内より先に海外に持っていった方がいいものもあると思う」とか、よく言ってます。例えば森山さんは「金融を変える」と言っていますが、これは国内の方が壁が厚く、外に行った方がいいかもしれない。あともう一つ、この国で言われているスタンダードなスタートアップ支援とか、創業支援をやっている限りは国内で止まるんじゃないかなとかも…いろいろ見ていると、今までの産業政策の延長で自治体は補助金行政的なものをメインにやっていることが多いんですが、スタートアップって、そういうことより以上にビジネスの中身を育てることが大事だし、起業家を育てるにも人は一人では育たないので、関係性とかコミュニティがすごく大事。スタートアップのエコシステムの本質的な部分はそういうところにあるのではないかなと考えています。もっとも、それを役所の仕事としてやるには普通の役所仕事の目線からしたら手間がかかるし、だから誰もなかなかやろうとしない。仕組みと器だけ用意して、「やっています」というのも多いです。でも、そうではなくて、やるんだったらきちんとやった方が良いし、きちんとしたのをやれば、時間はかかるかもしれないけど、案外、シリコンバレーになれるんじゃないか、というのはあります。やり始めてまだ5年ぐらいですが、別軸での世界へのアプローチはありかなと思っていて、これまでのセオリーの軸で競うつもりはないし、競っても結果が出ない。 世の中に新しい価値を提供するもの=スタートアップ ――ユニコーンを作り出そうというのは違うんですね。 北村さん そうそう。結果的にユニコーン企業が出ることがないとは言えないですが、目的にするのは違うと思います。「こんな世の中になったらいいな」というビジョンとか思いがあって、それをビジネスとして解決することの方が大事で、斬新で革新的であるに越したことはないですが、それがユニコーンなのかというと別なのかなと。典型的なユニコーンはITのプラットフォームとか、素材や基礎技術系ですね。でも、ユニコーンって、ビジネスをやる側とか、ユーザーの側とかより以上に、資金の出し手側の「一定の時間軸でキャピタルゲインを得なければならない」という都合から、「型」ができてしまっているようで面白くない。「Jカーブをきちんと描くようなもの以外はスタートアップビジネスでない」と言い出すと、ビジネスの幅がすごく狭くなってしまいます。でも、そうではないビジネスだからって、世の中を変える可能性がないとは限らない。人類が「スモールビジネスか、Jカーブか?」というお金の出し方しか知らないがために本当に価値のあるビジネスシードが埋もれてしまうことがあるのなら、それは残念な話で、役所が施策としてやるとするのなら、むしろここじゃないのかなと。 山本さん 珍獣です。 北村さん おっしゃる通り、珍獣なんですね。珍獣であることに社会的な意味はあって、それはそれでいいと思うんです。他がみんな向こうに行くんだったら、そういう幅の広さでチャンスを提供できる地域があってもいい。ただ、そこを頭から「佐賀はユニコーンとか全然興味ないです」と言ってしまうと、「自己満足でやっているだけだね」と言われてしまいます。なので、ユニコーンを目指せるところは目指すが、それだけが仕事ではないといったところだと思っています。。 山本さん スタートアップって成長するものだとしたら、私ははじかれます(笑)。でもこうして呼んでいただいているので、佐賀県のスタートアップの考え方は器がでかいというか、違うんだなと。 北村さん Jカーブを描くようなビジネスもスタートアップですが、それだけがスタートアップではないですよね。Jカーブありきだとやってしまいがちなのが、アプリ系やプラットフォーム系など既にマーケットが相当の確度であって、スケールが見えているものばかりを取り上げる、ということだったりするわけです。でも、じゃあそれらは山本さんや實松さんがやっていることと比べたときに、どちらが革新的なのかということですね。「面白いゲームをつくり、売れればいい」というのはビジネスとして革新的とは思えない。「Jカーブ=スタートアップ」というのはおかしいと思っていて、「世の中にビジネスとして新しい価値を提供するもの=スタートアップ」という定義であるべきではないでしょうか。 山本さん スッキリします! 北村さん だから、珍獣まで入っているんです(笑) ――實松さんは世界に、という野望はないのでしょうか? 實松さん ないわけではないですね~。販売のルートを作りたいといったことは考えています。 北村さん 實松さんが目指したいのは、教室を通じてやがて生徒さんが教える側になり、誤解を恐れずに言えば、自分のコピーを世界に広げていきたいんじゃないですか? 實松さん 将来的には協会を立ち上げて全国展開していきたいというのはありますが、師匠がいらっしゃって、まだ身動きが取れない状況です。その先生が引退されると、私が引き継ぐことになるとは思うんです。 北村さん きな臭くなってきたぞ(一同笑い) 實松さん そうなった時に協会を立ち上げて広げていきたい、全国展開していきたいというのはすごく思っています。 山本さん 實松さんはサーファーで、バックパッカーだったし、僕たちの想像とは違う人物だったというのが出てきてますね~。 實松さん でも、この界隈ではまだ全然殻を破れていないんですよ。スタートアップのアクセラに来たときも、分からないビジネス用語が飛び交っていて、居心地が悪かったです(笑)。ここにいていいんだろうかと。少しずつなれてきたというのはありますが、まだ殻は破れていません(笑)。 ――三田さんは将来的にどんな展開を? 三田さん 新しいジャンル、市場を開拓したいですね。それから扱っている島の素材が日本古来のものだったりするので、日本の素材を世に出していくとなると、おのずと世界かなと思っています。日本に古来の植物を使って化粧品を作ると、日本で好かれるのか、それとも日本らしい化粧品として海外に出る方がいいのか。売り先は東京や世界のオーガニック層。オーガニックが好きな人かなと。 北村さん その辺になると抽象的ですね。もっと解像度を上げていきましょうよ。 三田さん 私がオーガニックのいい商品に触れたのがロクシタンだったんですね。20年ぐらい前でした。外資系の美容部員だったときに、年に1回、フォーシーズンズホテルに泊まる研修がありました。会社のターゲットがそういう高級ホテルに泊まる人たちだったので。そこですごくいいオーガニックの商品に触れたという感動があって、私としてもクオリティーの高いものを出したいというのがありますかね。とてもラグジュアリーな空間にさせてくれる、そういう空間を皆さんにお届けしたいですね。 ――スタートアップ支援の佐賀型が見えてきた気がします。 北村さん 5年やってきて思うのは、仮説もなく計画もなく、ただ都会と同じ事をやっても面白くないので、「佐賀だったら何がいいのか」と考えてやってきました。「個にフォーカスして時間をかけて育てる」という形ができてきたかなと思っています。他の自治体から視察に来られると、「最初から計画されていたんですよね?」とか「5年計画だったんですよね?」と聞かれますが、「ないです!パッチワークです」と(笑)。ただ方向性やスタンス、問題意識はありますと。そういう問題意識のもとにパッチワークを繰り返してきて、プレイヤーも集まり、支援者も徐々に増えてきて、支援する側・される側の層が厚くなってきて、今のような形になっています。翻ってみて、確信も何もなくやってきましたが、佐賀県くらいの規模でスタートアップを考えるときに今のような考え方やアプローチは案外、間違っていないのかなと思っています。やってみるまで分からなかったし、躊躇している地域も多いですが、「躊躇しているのならばやってみればいいですよ」と私たちは言っています。ここは一歩先にいけているかなと思っています。

「考えることは楽しい」好奇心を育む尊さを提案する。 フレル株式会社代表 江口昌紀さん

「考えることは楽しい」好奇心を育む尊さを提案する。 フレル株式会社代表 江口昌紀さん

記事:山本卓 3月上旬、佐賀県西端の有田町役場にフレル株式会社社長の江口昌紀さん(41)の姿がありました。江口さんは、自社ブランド「Fulelu Edutainment Games」の第一弾として、6×6マスに入ったキューブを取り合い、数や色で得点の多さを競う木製の対戦型落ち物パズルゲーム「RoRop(ロロップ)」を生み出した新進気鋭のゲームクリエイターです。 この日、江口さんはロロップを有田町の生涯学習課に寄贈し、町内の子どもたちにロロップのを使って考えることの楽しさを感じてもらうワークショプを開催するために有田町を訪れていました。ワークショップでは、江口さんが一度だけ、ゲームのルールを説明しただけで、参加した子供が夢中になって、キューブの取り合いに没頭していました。さらに、取材中に驚いたことは、子どもたちが自らルールを作り遊んでいたことでした。 江口さんによると、「子どもが集中して考える、没頭するという体験が必要だと感じます。プログラミング教育とは、必ずしもコンピュータが必要なのではない、と思っています。「仕組みを理解すること。なぜ?を突き詰めること」を、ロロップを通じて自分で情報を集め、その情報を活用して問題を解決していく力を育んでいけると、教材として可能性を語った。 一方で「ゲームである以上、楽しさを忘れては駄目だ。」とも語る江口さん。「『勉強するんだ!』などと気負う必要はまったくないです。ゲームが勉強になるという全てではないけれど、考えるって楽しいなというところを身につけていただけると嬉しいなと思います。だって遊びなんだから」とニヤリと笑いました。 ロロップを寄贈された有田町関係者は、教育的な観点でロロップをどのように見たのでしょうか。実際にロロップを体験した同町の松尾佳昭町長は、これからの時代を生きる子供たちに時代をサバイブするために「必要なこと」がロロップにはあるとみています。 【有田町の松尾佳昭町長(右側)】 「『考えることは楽しい』もそうですが、答えがないところで自分なりの答えを見つけることこそ、学びに繋がるのだと思っています。今の時代を生きる子どもたちに、人から与えられるのものではなく、自分自身で見つけたものこそが面白いんだよ、ということに気づいて欲しい」(松尾佳昭・有田町長) また、教育現場の責任者である同町教育長の栗山昇氏はロロップで遊んだ子供たちでつながる有田町の未来に強い期待感を示しました。 【有田町教育長の栗山昇氏(右から2人目)】 「考えたり、不思議だなと感じたりすることで問いは生まれます。その問いを調べていくうちに、新たな問いが生まれます。そうしたことを繰り返しながら、子どもたちの探究心は磨かれていきます。ワクワクする気持ちから、いろんな活動が始まるのです。そして、さまざまな人と触れ合うことで、コミュニケーション力も養われるのです」(栗山昇教育長)。 ”考えること“の楽しさを江口さんが知ったのは、少年時代にゲームと出会ったことがきっかけでした。ゲームを生み出す江口さんは、何を思い、その先に何を見ているのでしょうか。江口さんの仕事にかける想いを、合同会社Light gear代表の山本卓が聞きました。 勝ち負け以上に「考える」を楽しむ キューブのパズルゲーム「RoRop」 【写真: 自社ブランド「Fulelu Edutainment Games」の第一弾として開発製品化した知育玩具「RoRop(ロロップ)」】 ――先日の有田町生涯学習課へ寄贈、そして小学生向けのワークショップ。初めてのゲームを前にして、子どもたちはドキドキ、ワクワクといった感じでしたね。 江口昌紀(以下、江口) 遊ぶ前に一度だけルールの説明をしたんですけど、僕が思っていたよりスイスイ遊んでくれて嬉しかったですね。「負けても楽しかった!」というアンケート結果を見た時、よっぽど面白かったんだな、と嬉しくなりました。こういった瞬間が「このゲームを作った甲斐があったな」って嬉しくなります。でも、それ以上に嬉しかったのは、“自分オリジナルのルールを作って遊んでいた”子どもがいたことなんです。 【じっくりと考えながら集中したゲームが繰り広げられていました】 江口 簡単にいえば、色並べのゲームです。下段から色を取って上段にある同じ色のブロックに積み重ねていき、早く色を揃えたほうが勝ち、といったルールでした。私自身は全く思いつかなかったルールで、 自分でも考えつかなかったルール考えられた、「やられた!」って、嫉妬しちゃいました。(笑) 【感想を書く児童。江口さんの上着の鳥の絵もしっかり描かれていました!】 ――自分でルールを作って遊ぶことの楽しさわかります。トランプでやる大富豪とか地方ルールとかも、やっぱり面白かったですもん。 江口 ロロップは次に何が落ちてきて、どのキューブを取れば色をそろえることができるかを思考したり判断する力、獲得したキューブが何点になるかを掛け算、足し算を使って計算する力が必要です。いずれも楽しみながら身につくスキルで、ゲームを通じて、“考えるって楽しいな”と思ってくれたら嬉しいですね。 人と人との距離感を楽しむことで、自分自身が成長できるアナログゲームの魅力 ――先日体験会の際に参加された子どもの保護者から「パソコンでのプログラミングのゲームもありますが、機械で対戦するのと、人と一緒にわいわいとボードゲームで遊ぶのとは感覚が違って面白かった。アナログゲームだからこそ出来る1対1のコミュニケーションの楽しさを感じました」との感想が寄せられたと聞きました。フレルの事業を見ているとゲームを中心としたコミュニケーションの距離感を大切にしているように感じました。 江口 フレルの社名にある通り、「触る=フレル」ことのできる距離を大切にしています。だからフレルが提供するのはデジタルゲームではなく、アナログゲームなんです。みんなで集まって遊ぶ。そして、元々のルールに自分たちで新しく作ったルール加えていくこともできます。新しい遊び方(ルール)を自分で考えると、人に遊んでもらうために、どうやって遊び方を伝えるかを工夫しなければなりません。その工夫はコミュニケーション能力の向上につながると思うんです。ゲームや遊びは、楽しいだけで終わらない。社会性や思考力を鍛え、ゲームや遊びを通じたコミュニケーションで友達とも仲良くなれる。 楽しい以上の価値がアナログゲームにはあるのです 。 【事務所内にはたくさんのボードゲームが置いてある】 ――アナログゲームは、相手と対峙しながら遊びますよね。対峙することで生まれるコミュニケーションがアナログゲームの魅力なんでしょうか。 江口 例えば、「このサイコロを使っちゃダメだよ」とか、ルールをその場で作ることもできる。自分たちで話し合いながらルールを考えることで、ゲームをさらに進化させる可能性も秘めているのです。近年、アナログゲーム、ボードゲームの市場は右肩上がりなのですが、その理由は、デジタルでもアナログでも、おもちゃやゲームで遊ぶことで生まれる コミュニケーションが重要視されてきている からじゃないかと個人的には思っています。 【事務所内の工房。ここでロロップは生まれた】 ――ゲームの醍醐味はどこでしょうか。 江口 ロジカルに考えられる力をつけるのがプログラミング教育の本来の目的。デジタル社会には、あらゆる情報が共有されるため、皆が同じ情報持ち、同じような考え方になりやすい性質があり、もしかすると個性が薄まっていく可能性もある。 私は好奇心と個性を育むのがアナログゲームの醍醐味だと思っています。 仕組みを理解し「なぜ?」を突き詰めること。ロロップをする中で、「次の人はどうやってキューブを取るのだろう?」「どうやってキューブが落ちてくるのか?」といった 空間認識能力や先読み力、計算力、判断力 を育んでいける。ゲームで遊んでいた結果、楽しいものが学びにつながっていけば良いな、と思います。 「考える事って楽しいな」と感じた経験が、自分自身の原点 【インタビューに答えてくれる江口さん】 ――どんな幼少時代を過ごしていたんですか? 江口 小さい頃から、ゲームや遊びが周りにたくさんありました。ファミコンやトランプ、オセロ――。父親と将棋もやっていたりしてましたね。ある時期に友達と、 “ゲームのルールを作る”遊び をしていました。それが本当に楽しくて 「考えることって楽しいな」と感じた経験が、今の自分自身の原点 です。 ――江口少年は、考えることの楽しさをその時代に感じでいたんですね。 江口 考えることは、嫌いじゃなかったと思います。ただ、勉強はさほど好きではなかった。そこの違いって何だろうと思います。(笑) 勉強もゲームのように楽しめたら良かったのでですが…。 ゲームは、僕の人格形成に結構大きく影響している と思います。 ――これまでの人生で、ゲームと出会ったことで「自分が変わったな」ということはあるんですか? 江口 「落ち着きがない」だの「理屈っぽい」だの、今も言われることはさておいて。 とくに昔から変わってないんです。 ただ単純にゲームが好き。遊ぶことが好き。とにかく好き。ただ、そうしたゲームや遊ぶことを通じて、物事を長時間考えることに抵抗はありません。 「考えることを楽しいと感じることが尊い」 【体験会にて。江口さんから楽しそうにレクチャーを受けている子どもたち】 ――僕も子供たちとロロップで遊びました。「なるほど。その手で来るのか」って真剣に考えていたり、得点を計算する時に、自分で点数を導き出せるとたどり着けると、本当に嬉しそうで。「1つのゲームから様々なことが学べるんだなあ」と僕自身が再認識させられました。 江口 考えている時ってみんな楽しいんですよ。言葉じゃなくて、感覚で感じるものだと思います。 ロロップには知識はいらない。 どうすれば相手に勝つことができるかを考え、その考え方で結果が変わってくる。 自分たちでルールを作る時も同じで、知識はいりません。ロロップだけを見てゲームのルールを考える。6色6個のキューブをどうやって動かそうか、そう動かしたら楽しいかを考えてルールを作る。ゲーム考案者の私が思いつかなかったような面白いルールが出てきたりします。 子供は発想の天才だな って思います。 【どんどんアイデアが生まれ独自のルールを生み出している子供たち】 ――「 ロロップ 」の今後の展望をお聞かせください。 江口 生涯で初めて地球の裏側にまで持っていけるコンテンツ 作ったと思っています。言葉もいらない、知識もいらない、つまり、あらゆる国のあらゆる人たちが遊べる、それがロロップです。だから「日本だけに留めておくのはもったいないな」と思います。むしろ海外の方に愛されるんじゃないかとかも思うほどです。触ってもらい、そこに価値を感じてくれる人達が海の向こう側にいる。なので海外展開も視野に入れています。 ――国や地域で新しいルールが出来たら、また面白いですもんね。 江口 そうですね。世界中の人に遊んでもらいたいし、 考えることは楽しいことを世界に広めていきたい 。 考える行為は僕自身ものすごく尊いものだ と思っています。ゲームが生み出す世界観を通じて、世の中に社会貢献したいと思っています。 「考える」と共に、僕は仕事をしています。 【このクシャッとした笑顔に、癒されました】 ――江口さんが事業を続ける理由ってなんですか? 江口 事業を続けるという感覚よりも、ただやりたいことをしているだけ、という感覚が近いのかもしれません。ミュージシャンが自分の出したい音があるから曲を作ったり、楽器で演奏したり。歌を歌うのと同じように、 「ゲームを作りたいからゲームを作る」ただそれだけなんです。自己表現というか、アーティスティックな世界 なのかもしれないですね。 ――辞めようと思ったことはなかったんですか? 江口 楽しいことって永遠に続けられますよね。僕にとって、考えることが楽しいことなので、ゲーム作りは永遠に続けられるんです。事業としての資金の工面など、やらなければいけことも多くて苦労もありますが、 世の中にゲームを送り出し続けたい と思っています。 ――江口さんが生み出す「ゲームや遊び」とは、なんなんですか? 江口 ゲームや遊びからは、話し方や気配りといったコミュニケーションスキルを子供が自然に学ぶことができます。そうしたことは、親や先生から注意されながら学んでいくのではなく、遊びの中から考え学んだ方が、楽しく身につけることができます。ロロップも教育の教材という位置づけではなく、子供たちが自然と、楽しんでいるうちにスキルなどを身につけることができる コンテンツ になってもらえれば、と思います。 ――確かに遊びやゲームが教育教材になってしまったら、違う気がしますね。 江口 例えば、ロロップで学校の成績がつくようになったら、ロロップは楽しくなくなります。ロロップができなかったって、人生で困ることは一つもないんです。(笑) だからこそ、思いっきり楽しむことができるんだと思うんです。 ――ロロップや江口さんがゲームを通じて生み出したい世界感ってありますか? 江口 一言では言い表せないのですが、 好奇心や思考力などを育むきっかけの一つとして、ロロップを提案し、世界の平和に貢献したいと思っています。みんなが世の中のことをもっと深く知ろうと思ったり、思考力を深めたりすることで、家族や友人、知人などの周りの人を深く知ろうと思うことにつながり、その輪がどんどん大きくなって、国や世界レベルに広がっていけば、世界平和につながるのではないでしょうか。 だからこそ、最初に義務教育で好奇心や思考力を育むことのできる場である初等教育は楽しいものであってほしい、と強く願います。考えることの楽しさを知ることは、学ぶことのはじめの一歩だと思うからです。親に「勉強が大事だから勉強しなさい」って言われたら勉強しますか? ――勉強したくないですね。 江口 勉強や学ぶことで何が大切なのかを伝えるのってすごく難しい。だから算数やコミュニケーションなどあらゆることを、考えるためのきっかけづくりをゲームでできればと思うんです。僕は教育者でもなんでもないですし、思想家でもない。僕にできる事は、ゲームを作って学ぶことに寄り添い、 「考える楽しさ」 を知るためのきっかけの提案をしているんです。 学びを面白がることが世界平和につながりますし 、僕が目指すべきことは…。後世に天才と呼ばれる人物が出てきた時に「ロロップを通じて考えることが楽しいんってことに気付かされました」と言ってもらえるようになりたいです。未来の天才たちの誕生の貢献に繋がっていけたら嬉しいし、そうなってもらうためにも、今日もゲームと共に仕事をしています。

「“生きづらさ”を“面白さ”に変える仕事をしています」株式会社すみなす 代表取締役 西村史彦さん【後編】

「“生きづらさ”を“面白さ”に変える仕事をしています」株式会社すみなす 代表取締役 西村史彦さん【後編】

記事:山本卓 「アーティストの作品は見るだけではなく身に着けて楽しみます」と話す西村史彦さん(37)は、生きづらさを面白さに転換する』をビジョンに掲げる株式会社すみなすの代表だ。すみなすが開所した就労継続支援B型事業所「GENIUS」(ジーニアス)には、メンタルの不調など、日常生活で何らかのハンディを抱える方が、アーティストとして所属している。インタビュー前半では、西村さんがジーニアスを立ち上げるまでのお話をお聞きしましたが、後半ではジーニアス立ち上げ以降のお話を合同会社Light gear代表の山本卓が伺いました。 向かい風の中でも、際立つ存在となった「GENIUS」 【事業所入り口に飾られた看板もGENIUS所属アーティストの作品】 ――GENIUSはアート活動をベースに、利用者自身の強みを活かしたお仕事ができる就労継続支援B型事業所。西村さん自身も学生時代にアートを学んでいたようですが、「アートを活かした支援」に着目したきっかけは何だったですか。 西村史彦(以下、西村) きっかけは、福岡の商業施設で偶然見かけたアート作品です。タイル一枚一枚に作品が描かれてあるもので、「すごくカッコいいな」と思いました。調べてみると、描いたのは障がいを持った人だったんです。当時、高齢者介護の仕事をしていた僕に衝撃が走りました。 同じ福祉業界に、高齢者介護とはまた違う「支援の在り方」があったんだ、と。このアートとの出会いが、自分の中で今のGENIUSに繋がる種火になりました 。 ――開所にあたり、西村さんのGENIUS構想は佐賀でどんなスタートを切りましたか? 西村 構想自体は2019年4月に完成しました。開所にあたり行政の福祉部門に相談に行ったのですが、「ダメだ」と門前払いでした。理由は明確で、就労継続支援B型が飽和状態だったこと、アートでの収益化の根拠が見えないことでした。行政からは「収益化の根拠を示せ」と言われました。事業も始めていない時期で収益性の根拠も見えていない状態でした。今、振り返れば、しっかりとした事業計画を立てていない自分の計画の甘さはよくわかるのですが、その時は、「 わかりました。介護事業所のお掃除の仕事をします! 」とかなり強気に計画書を提出しました。 ――強行突破でしたね。 西村 なんとか認可が下り、介護事業所の掃除ではなく、アートを通した支援を始めたんですが…。すぐに行政側の発覚するところになり、ひどく怒られました。ただ、その時はアートでの収益化について、 言語化も数値化も出来ていなかったのですが、自信と確信はあったので「1年後を見ていてほしい」と行政側に伝えました。 【緻密で立体的なオブジェ。その素材からインスパイアを受けている作品も】 ――アートの領域で事業が軌道に乗っているGENIUSですが、アート領域はどのようにして伸ばしていったのですか? 西村 2019年11月に株式会社すみなすを設立し、2020年2月に就労継続支援B型施設GENIUSを開きました。開所は新型コロナウィルス流行と重なってしまったのですが、この事態をチャンスだと捉え、しっかり事業展開するための準備期間としました。まずは起業セミナーに参加したり、青森県で同様の活動をしている事業所に視察をしに行ったり。 福祉行政を頼るばかりでなく、収益性を考えるのであれば同じ行政でも産業政策をやっている部門だと思い 、県庁の産業DX・スタートアップ推進グループ(当時は産業DX・スタートアップ推進室)に相談にのってもらっていました。そして、同グループが実施している起業家支援プログラムでアートの事業化について、さまざまな専門家にビジネスをブラッシュアップしてもらいました。プランのプレスリリースも出しました。そうこうしているうちに、開所前にも関わらずテレビや新聞などの取材がまいこむようになりました。ブランド構想やレンタルアート構想などを公開していき、多くのメディアに掲載されると「この前新聞で見たよ」などと福祉行政の担当者が声をかけてくれるようになりました。「アートと就労継続支援」という構想はまだまだ際立つものがあったんだと思います。でもそれは数字も伴わなければ、駄目だったとは思いますけどね。 「障がい」という言葉の本当の意味。 【アトリエに飾られたたくさんの作品を眺めながら微笑む西村さん】 ――多様性が叫ばれる昨今の日本社会も、「障がい者」というフィルターがあると、なんとなく距離を置かれるようなことはまだあると思います。そんな社会でGENIUSを始めていくことのへの不安はありましたか? 西村 僕は初めからアートの可能性を信じていましたし、何よりこの事業は僕にしかできないと確信していました。「障がい」という言葉にも思うことがあります。利用者と表現する方もいるかと思いますが、僕たちは 障がいの有無ではなく役割で区別したいという考えから彼らを「アーティスト」と呼んでいます 。人々の 普遍的な課題だと思いますが、人は本質よりも名付けられた「言葉」で受け止めがち ですよね。まさに「障害」という言葉もそうだと思います。その言葉の本質まで触れずに、従来のニュアンスで受け止める。 GENIUS立ち上げ前から僕は「芸術において障がいも障壁もないんだ」と強く発信してきました。なので僕は「障がい」という特徴には、全然着目をしてない。 障がい者とは思っていなくて、「特性強めだよね。君達」って思ってます。 【アーティストがカラーペンを手に作品を描く様子】 かと言って僕らが何もせず、何の助け合いもなしにアーティストが現代社会の中に放り込まれたら、それは彼らの「生きづらさ」に直結します。だから、本質に触れる機会を生み出したいんです。 障がいの特性は裏を返せば、才能になるという本質を知っているから。 人間は表裏一体なんです。社会も当事者も、「障がい」っていうくくりで受け止めるから、不便なもののように捉えちゃう。だからこそ僕は、「アーティスト達」が作っている作品なんだ、という制作者の本質にこだわっているんです。 ――そんな西村さんにとって、アートの醍醐味とは? 西村 アートには、ストーリーがあります。ビジュアル的に飛び込んでくる面白さもあるけど、背景にあるストーリーを知って鑑賞してほしい。 ストーリーとアートが掛け算になった時に、予期していなかった発見や驚き、感動が生まれる。アートは、表現方法の一つであると共に、価値観や世界観、生き方そのものだと思う んです。だからこそGENIUSに所属するアーティストの作品は人の心に響く。そう感じています。 僕は今、「生きづらさは転換できる」ということを証明し続けている。 【アート作品一つ一つに物語がある。ストーリーを知るたびに心が踊る】 ――アーティストの生きづらさの原因は何だと思いますか? 西村 色々あると思います。それは自分への自信の無さだったり、人は社会の作った枠に当てはまらなきゃいけないという強迫観念だったり。それが生き方の選択肢の幅を狭めてしまう原因になり、生きづらさとなると思います。 事業を始めた頃、友達や行政から心配されました。行政側は、アートと就労支援が上手く合致するイメージがなかったのでしょう。もし潰れたりしたら、利用している方々の行く場所がなくなってしまう、という心配があるように感じました。友達からは、僕の「興味の対象が変わりやすく継続が苦手な性格」を見抜かれていましたし。でも今は周囲も「ようやく、史彦らしさが戻ってきたね」と言ってくれます。見返すこととは違うかもしれませんが、ようやく本当の自分を見せられているような気がします。 僕は以前まで「自分は何もできない人間だ」とか、「社会には価値のない人間かもしれない」なんて思っていました。でも嫌々始めた介護の仕事、息子の障がい、友達の死――。いろんな出来事を経験して、僕自身が「生きづらさ」を面白さに転換できたのだから、その生き様を通して 「面白さへの転換」を証明することで、生きづらさを感じてつらくなっている誰かが勇気を踏み出す一歩になれたら と思っています。 ――GENIUSを通じて、西村さん自身が変化したことは? 西村 僕はGENIUSを通して、生きづらさをおもしろさに転換することができています。落ち着きのなさは、アクションを起こせる力へ変わりました。興味の移りやすさは変化をし続けられる力に、僕の苦しい経験や息子の障がいは、人を巻き込む力に変わった。僕は今、生きづらさは転換できると証明し続けています。僕の生きづらかった人生はすべて、面白さに変化していますね。 今日も生きづらさと共に。 【制作中の作品を手に撮影するも、乾いておらず焦っていた西村さん】 ―-西村さんにとってGENIUSとはどんな場所なんですか? 西村 アート制作環境を提供している場所ですが、それが本筋でやっているわけではないと思っていて、 世界中の普遍的な生きづらさにアプローチしていく「生き方提案」をする場 だと思っています。ウォシュレットは、元々障がいのある方が障害のある人のために作ったものが、今や一般化されている。それと同じように、障がいを持った人のために作られたGENIUSが、 大人も子供も男女もない、すべての人の生きづらさの障壁を外す役割となり生きづらさを面白さに転換できる場であればいいな と思います。 【ひとつひとつの言葉に力強さを感じたインタビューでした】 ――GENIUSを運営していく中で大切にしてる想いはなんでしょう? 西村 GENIUSは寄り添う支援ではなく「伴走支援」です。言い方は悪くなりますが、今まさに生きづらさを感じている人というのは、川でおぼれている状態に近い。自分が上を向いているのか下を向いているのか、どこにいるのかがわからない。だから、「ここが陸なんだよ」って知らせて、陸に引き上げるような作業です。時には寄り添うことも必要なのかもしれませんが、生きづらさって絶対になくなりません。光と影のように、切っても切り離せないもの。だったら、生きづらさを受け止めつつも視点を変えておもしろさに転換し、窮屈や退屈でいっぱいの強迫観念の中から、引き上げる。 表裏一体の矛盾を愛することを大切に しています。その姿勢が伝われば嬉しいですね。 ――最後に、これからの目標を聞かせてください。 西村 いつか、誰もが生きづらさを面白おかしく転換できて、自分らしく生きられている世界になって、GENIUSの事業支援が必要なくなるような世界になってほしい。それが理想です。だから僕は生きづらさと共に、今日も仕事をしています。 ――今日はお忙しい中、貴重なお話ありがとうございました。

「“生きづらさ”を“面白さ”に変える仕事をしています」株式会社すみなす 代表取締役 西村史彦さん【前編】

「“生きづらさ”を“面白さ”に変える仕事をしています」株式会社すみなす 代表取締役 西村史彦さん【前編】

「ふざけていないと生きていられない!」と断言する西村史彦さん(37)。 『生きづらさを面白さに転換する』をビジョンに掲げる株式会社すみなすの代表だ。すみなすが開所した就労継続支援B型事業所「GENIUS」(ジーニアス)には、メンタルの不調など、日常生活で何らかのハンディを抱える方が、アーティストとして所属している。 ジーニアス所属アーティストの作品は今、佐賀県内だけでなく、世界に活躍の場を広げつつある。そんなアーティストたちをプロデュースする西村さんだが、自分自身を見失い、本人も「暗黒を生きていた」という9年間が存在する。友人の自死、障がいを持って生まれてきた息子の存在。いつも見せる屈託のない笑顔の裏には、「生きづらさと共に」歩んできた西村さん自身の物語があった。 仕事への想いについて、西村さんと普段からふざけ合ってお互いを高め合っている合同会社Light gear代表の山本卓が話を聞きました 窮屈。言い訳。自暴自棄。 “自分”を見失った“暗黒期”。 【インタビューに答えてくれる株式会社すみなす代表 西村史彦さん】 ――西村さんから「生きづらさ」という言葉をよく聞きます。どんな子供時代、青春時代を過ごしてきたんですか? 西村史彦(以下、西村) 小学校1年生の頃、佐賀市内にある『古賀英語道場』『和道流古賀空手道場』に通っていたのですが、そこでは道場生が演劇の舞台に立つ「英語劇祭」というものがありました。配役を決める時はいつも「僕が主役だ!」と真っ先に手を挙げる子供、つまり天性の目立ちたがり屋でした。高校はバンドに明け暮れ、大学は壁に絵を描く「グラフィティアーティスト」を夢見て芸術学部に進みました。24歳の頃にはカナダで暮らしながら、レゲエを歌い、地元のバーなどで活動していたんです。 ――目立つことに恥ずかしさは感じませんでしたか? 西村 もともと 「ふざけていないと生きていけない」 タイプなんだと思います。そんな日々を過ごしていた私ですが、ある日、「母が倒れそうだから、帰国して仕事を手伝ってやれ」と連絡をもらいました。やりたいことがあったので、一度は断りました。でも、母のことはやはり心配なので、帰国を決めました。 ――お母様は大丈夫でしたか? 西村 いや、それがですね…。心配で急いで帰国して、家の扉を開けてびっくり仰天しました。母は「倒れそう」どころか、すごく元気でピンピンしていました。その瞬間、「あ、ボクはだまされたんだ」と理解しました(笑)。それからは、母が経営していた高齢者介護施設で仕事を手伝うことになりました。 嫌々ではありましたが、自分の中で覚悟を決めて介護の世界へ飛び込みました。 仕事をしていくにつれて「介護の勉強しっかりしよう」と思うようになり、「社会福祉主事」という資格を取ることを決めました。でも、最初に心が折れました。 ―やはり仕事と勉強の両立って難しかったということですか? 西村 いやいや…通信教育で使う教材が大量すぎて(笑)。段ボールに入って送られてきた膨大な量の教材を目の当たりして、「俺、無理よ」ってがく然としちゃいましたね。で、その直後のことでした。大量の教材を前にがく然としている私に、当時は付き合っていた嫁さんがよってきて、こう告げられました。「子供ができたの」って。 「え?俺、父親になるの?!こんなに教材あるのに?!」って、 もう、めちゃくちゃテンパりましたね! 【インタビュー中の間に、ふざけ顔を入れてくる西村さん】 ――西村さんらしいエピソードですね(笑)。ということは、その時期にお子さんが奥様のお腹の中にいることがわかったんですね。 西村 そうです。僕が27歳の時、待望の第一子が誕生しました。ただ、息子には障がいがありました。その障がいは、 医師からも「世界的にあまり例がない」と言われました。息子は足の骨が折れた状態で生まれたてきたのです。そして骨はくっ付きませんでした。 「山登りを一緒にできないんだ」「温泉に一緒に入ることが出来ないかもしれない」「なんで息子にだけ…」。僕は息子が置かれた現実を受け止めることができずにいました。 ――西村さんはカナダから帰国しての9年間を「人生の暗黒期」と表現されていますよね。 西村 介護の仕事も資格を取ろうとしたこともあるんですが、嫌々やっていたこともありましたし、息子の障がいという受け止めきれない現実にも直面しました。自分さえも見失っていたんだと思います。さらに、自分にとって悔やんでも悔やみきれない出来事があったのもこの時期でした。 ――悔やみきれない出来事とは? 西村 29歳ごろのことです。僕は介護の仕事をしながら、心理カウンセラーの資格取るために博多に通う生活をしていました。日々の仕事に追われている時期に、昔から仲が良かった友達の姉ちゃんから「弟が最近ちょっと鬱っぽいから、遊びに連れて行ってあげてくれない?」と電話がありました。友達の声を聞くと「確かに元気がないなあ」と感じました。でも、私自身、仕事が忙しかったこともあって「近いうちに風呂でもいこうや」といって電話を切ってしまいました。 友人が亡くなったことを知ったのはその数日後のことでした。実際に銭湯に誘うために電話をした時、その日に友人が電車に飛び込んで亡くなったことを伝えられました。パニックになって、「なんであの時、すぐに駆け付けなかったんだ」「なんで助けてあげれなかったんだ」と、自分を責めました。僕はカナダから帰国してからというものの、社会の幅をものすごく窮屈に感じるようになっていました。だからといって、社会の幅を広げるようなことはせず、いろんなことを言い訳して、しょぼくれていて…。この生きづらい社会に、自暴自棄となって “自分という存在”が分からなくなっていました。 「人間は表裏一体」息子が引き金を引いてくれた。本来の自分の姿。 【愛してやまない息子さんとの2ショット】 ――どん底からの転機になった出来事は、なんだったんですか? 西村 生きづらさから自分自身を見失ってしまった9年間。救ってくれたのが、妻であり、息子の存在でした。ある夜、妻や息子の寝顔を横から眺めていて気がついたのです。 「息子が障がいを持って生まれてきたことに、誰よりもショックを受けたのは僕じゃない。お腹で繋がっていた嫁さんなんだ」 二人の幸せそうな寝顔を見ながら、「このままどん底に落ちている場合じゃない。自分自身が動かないと人生は好転しない」、そう思い立ったんです。そんな時、突然、ジャマイカの海辺の風景が頭に思い浮かびました。 ジャマイカは、カナダから帰国する際に立ち寄りました。視界いっぱいに広がる水平線。海と空の二分された青い世界。その情景は人間そのものに感じました。 凹んでいるところもあれば、突き抜けているところもある。人間って表裏一体なのだと。 息子は、世界的に例のないスペシャルなものを持って生まれてくれた。「こんな特別な、すごい事はない」と思えた んです。それがどん底から這い上がった転換点になりました。 ――裏と表。相反するものが一枚のキャンバスに描かれているような衝撃があったわけですね。 【カナダの砂浜から見せる水平線の様子】 西村 息子が「人間って表裏一体なのだ」ということを証明してくれるかのような出来事がありました。保育園に息子を迎えに行った時のことでした。息子は僕の声が全く聞こえないぐらい集中していました。レゴブロックで、ヒーローの変身ベルトを作っていたんです。その変身ベルトが秀逸で、発想がめちゃくちゃ面白かった。僕には思いつかないアイデアがたくさん詰まっていました。 【モノ作りが大好きな息子さん】 息子が熱中する姿を見て、「好きな事、得意な事をやり続けてほしいな」と思いました。 突き抜けた部分を社会に活かし、生きづらいと感じている人が社会的な役割を当たり前に与えられる世界を作りたい。そして「好きや得意を生かす。そのことこそが、その人が持つ社会的な役割になるんじゃないか」と考えるようになりました。そう思って自分を振り返ってみたら「俺は好きとか得意とか全くいかせてない…」という見て見ぬ振りをしていた自分に改めて気づき落胆しました。 そこから「障がいのある人が『好き』を『武器』に変えて自分の土俵で戦える場を作りたい」と決意 したんです。親父として息子に「息が詰まるような辛い表情を浮かべて生きる親父の背中を見せていいわけないじゃないか。楽しんで生きている自分を見せるべきだ」と。学生時代に僕の中にあった「本来の自分」という存在を出してくれた。 息子が、引き金を引いてくれた んです。それからは、とにかく自分の殻をぶち破っていくかのように“起業”という道をただひたすらに突っ張り始めました。 【後編】では、ジーニアス立ち上げ以降のお話を伺います。

「あしたは、あしたの“香り”が吹く。循環の仕組みづくりを目指す」株式会社Retocos代表

「あしたは、あしたの“香り”が吹く。循環の仕組みづくりを目指す」株式会社Retocos代表

記事:山本卓(合同会社Light gear代表) 「私、型にはまりたくない。というかはまれないんです。空気でありたい」。 そう満面の笑みで話すのは、代表の三田かおりさん(44)。「地域経済の循環。そして持続可能な未来を目指す」をビジョンに掲げ、2021年12月に株式会社Retocos(リトコス)を設立した。高島、神集島、加部島、小川島、加唐島、松島、馬渡島、向島。唐津市にある8つの島を拠点に“島と人”、“自然と産業”を繋ぎ、これらの循環を目指して活動をしている。島の耕作が放棄された土地にホーリーバジルを植え、自生している椿や甘夏といった島の恵みを原材料にしたコスメや香り作り体験会などを行ってきた三田さん。だが、事業が進むごとに変化する環境に戸惑い、周囲からの期待などが混ざり合って “混沌の時期”があったという。そんな三田さんの仕事への想いについて、三田さんと会えばずっと笑い合っているような関係の山本卓が聞きました。 自然や風土など、島でもまったく違う面白さ 【早朝。大きな荷物を持って島に上陸をする三田かおりさん】 ――高島にようやく来れました。今日は結構な大荷物ですね。 三田かおり(以下、三田) 今日から3日間、高島で生活するので、荷物は多めに持ってきました。普段は佐賀市内に娘と住んでいるので、島には通っている状態なんです。でも、もう少ししたら島に移住する予定です。 ――三田さんは「島」のイメージが強いんですけど、もともと「島」で仕事をしたかったんですか? 三田 場所は、どこでも良かったんです。たまたま自分がやりたいことが、 「島という環境だったらできるかも」 と思ったんです。大学卒業後に、外資系化粧品のラグジュアリーブランドの美容部員として働いていたのが、たまたま商工会連合会に転職して、たまたま一般社団法人ジャパン・コスメティックセンター(JCC)のコーディネーターとして声がかかって、たまたま島と関わった。いろいろな「たまたま」が重なった、ただ、それだけなんです。 【唐津から船で10分ほど。気持ちいい港がある高島】 ――島とかかわり出してから、起業を考えたんですか? 三田 商工会連合会に所属している時に、衰退している商店街に人を呼び込むプロジェクトにかかわりました。その時に「地域の人たちで新しい未来を創造していくのってすごく面白い」と感じたんです。そんなある日、コスメで地域活性化をすることを目的としたJCCが立ち上がったんです。そのJCCから声がかかり、それをきっかけに島にかかわることになりました。 島にかかわるようになると、コスメを安定供給するための人材確保の必要性など、いくつも課題が見えてきました。課題解決に向けて活動していくと、共感の輪が広がり、加唐島の椿に可能性を感じていただける方々が増えてきました。すると椿の需要がさらに増え、加唐島だけでは原材料確保が難しくなっていきました。そんなある日、島民から「ほかの島にも椿が自生しているよ」と教えてもらったんです。 ――そこで他の島へ足を運ぶことにしたんですね。 三田 他の島に行ったら、宝物がたくさんあったんです。島にしか咲いていない植物もあれば、土壌の性質や自然、風土――。「島ごとに特性がまったく違う」ことに面白さを感じました。島の魅力に触れたことで、 「島の特性をいかしながら、地域課題を解決して、島の生産力をあげる循環の仕組みづくりをしたい」 と思うようになりました。 ゴミが落ちていたら拾うように、当たり前のことをしているだけなんです 【宝当神社で有名な高島の島民は約200人。歩いて一周50分ほどの小さな島だ】 ――JCCを卒業し、会社ではなくNPOを設立した理由は何だったんですか? 三田 起業って、初めての経験なので分からないことだらけ。当時の私は 「地域課題を解決するならば、NPO法人を立ち上げるしか方法はない!」 と思い込んでいました。 ――確かに起業って分からないことの連続ですもんね。JCC時代の事業を仕事にしたイメージなんですか? 三田 初めから「任期終了後は、JCCで作った事業を自分の事業にしてね」と言われていたんです。JCC時代のミッションは、コスメの本場フランスと連携し、佐賀県唐津市などに化粧品の産業集積地をつくることでした。「唐津コスメティック構想」と名付けられた取り組みでは、産業を生み出し、グローバル展開などを目指すことを目標としていました。 【島のあちらこちらで自生している椿】 ――島と関わり始めのころは、どんなお仕事をされていたんですか? 三田 島の椿の収穫量の調査や、島の椿を使ってもらえる企業が何件あるか、といった仕事をしていました。また、地元の椿を使って化粧品を開発することも仕事でした。 島をコスメ原材料の産地にすることが目的 だったのですが、「大手企業に使ってもらえたぞ!一件獲得!」みたいな打ち上げ花火ももちろん大切なのですが、同時にコスメの原材料作りを、島に根付かせるための仕組みづくりも進めなければ、課題の根本的な解決につながらないと思うようになりました。「なぜ、唐津でコスメ構想を立ち上げるのか?」を、自分なりに考え直すようになりました。 【海岸線沿いから一本路地に入ると、レトロな街並みが広がる】 ――NPO法人としての事業は、何から始めたんですか? 三田 まずは人々が島で営みを送るための環境を整えることが大切だと考えました。島ではイノシシの数が島民の人口を上回り、駆除が追いつきません。監視の目が届かないから、大事に育てた野菜が食べられ、畑は荒らされていく。この負の連鎖をどう断ち切れるのか必死に考えました。そこで目を付けたのがハーブでした。 ――負の連鎖を断ち切るためのハーブですか? 三田 ホーリーバジルなどのハーブは、イノシシなどの害獣が嫌いな匂いがするらしく、植えると畑に近寄ってこないんです。さらに、これまで雑草が生い茂り、イノシシが身を隠しやすかった耕作放棄地を再び畑に戻すことで、人間の目が行き届き、イノシシの被害は少なくなっていく。さらにハーブ畑が増え、安定した量を収穫できるようになれば、加工などのお年寄りでもできる軽作業も増え、仕事が生まれて産業が育つ。こうして循環の仕組みを作るために、NPO法人を立ち上げようと思ったんです。 【イノシシが、わざわざ海を渡り、畑を荒らしている】 ―NPO法人リトコスとして事業を始めていくにつれて、三田さん自身の環境もガラッと変わったんじゃないですか? 三田 そうですね。NPO法人リトコスから株式会社Retocosになって3年が経ちました。様々な賞をいただいたり、「三田さんはすごい事をやっているね」と言っていただけることも多くなってきました。やっていることを評価していただくのは嬉しいのですが、なんだか気恥ずかしくて。「 私は、地域を救う人じゃないんですよ」(笑) 私の事業は「 SDGs だ」といわれることもあるんです。でも昔から島で当たり前に行われてきたことをしているだけであって、「SDGs的なことをやろう」なんて思ったことは一度もないんです。ゴミが道端に落ちていたら拾う、ただそのぐらい当たり前のことをしているだけなんです。 人に好かれようが嫌われようが、やっぱりやるしかない 【防波堤には、子どもたちが書いた可愛い魚の絵がある】 ――たくさんのアワードなどを受賞されているので、とても華々しい活動だと思っていたんですが、本人としてはギャップを感じてられていたのですね。 三田 私が目指したいのは、 人々が自然と共生しながら豊かに暮らす持続可能な社会 なんです 。 コスメの原材料の生産はあくまで手段なので、椿油やハーブなどを使った『コスメの人』というイメージがついてしまったことにギャップは感じました。また、もともと島の出身ではない私が、「島のために頑張っている人」というイメージが持たれるようになって。このことにも自分の認識とギャップを感じていましたね。私としては、昔から当たり前のようにやってきたことを、当たり前のようにやっているだけだったので。 ――様々なギャップが生じてもビジネスを続けている転機のようなものはありましたか? 三田 やっぱり佐賀県庁の産業DX・スタートアップ推進グループの北村和人総括監の助けがあったからだと思います。NPO法人時代に産業DX・スタートアップ推進グループがやっているアクセラレーションプログラムに参加しました。その頃、北村さんから何度も問いかけられていた言葉がありました。それは「三田さんは地域のために、なんでやるのか?」というWHYの部分でした。北村さんの問いの答えをずっと探していました。当時、環境が私を型に押し込めているという感覚に陥り、どうしていいのか分からなくなっていました。そんな苦しい時、手を差し伸べてくれる人、応援してくれている人、理解してくれる人は、実は内側だけではなく、外側にもいることに気が付いたんです。 【時折みせる、三田さんの表情から、これまでの苦労が伺える】 ――全員に理解されようなんて、無理な話ですもんね。共感してくれる人は外にもいた、という感じでしょうか。 三田 事業を始めたころ、耕作放棄地問題の解消など、島の地域課題が解決されるためには、全ての人に受け入れてもらうことが大切だと思っていました。だけど、「別に地域を活性化してもらわなくていい」とか、「現状維持でいい」と思う人だっているわけです。「自分が良かれと思って進めたことが、実は相手はそう思っていないこともある」、そこに気付けた。そこは大きかったです。。(笑) だから、まずは、私が良いと思ったことをやってみる。そして、考えに共感してくれる人とは、一緒にできたらいいなと、シンプルに考えるようにしました。北村さんからの問いの答えを探していくうちに、「人に好かれようが嫌われようが、良いと思ったことをやるしかない」と、覚悟が決まったんです。 逆境を乗り越えてきた原動力は「娘のため」 【もはや“戦友(?!)”の娘さんとの素敵なツーショット】 ――三田さんが事業を進めていく原動力はどこからくるんですか? 三田 実は過去に離婚を経験していて、その時に自分を追い込んでしまい、毎日泣いて過ごしていました。娘は2歳ぐらいでしたが、テレビの「戦隊ヒーロー」みたいな服ばかり着るようになって。「この子はLGBTなのかしら」と疑問に思って、保育園の先生に聞いてみたんです。そうしたら、「三田さんのお嬢さんは、お母さんを守るために、強くなろうとしているんですよ」と教えてくれたんです。 ――娘さんも、「お母さんのために何かしなきゃ」と思ったんでしょうね。 三田 よく「何でそんなに頑張れるんですか?」と聞かれるのですが、私は決して強くてパワフルな人間ではないんです。弱くて小さな人間なんです。でも、そんな私が、これまで事業を続けて来られたのは、娘の存在があったからだと思います。離婚して、「私が泣いている場合じゃない。私がこの子を育てなきゃ、戦わなきゃ」って思うと頑張ることができます。離婚した直後も、仕事をしながら娘と過ごす時間を作るにはどうすればいいかを考え、「事務の仕事であれば、娘との時間を作ることができるのでは」と考え、それまでの美容部員の仕事を辞めました。20年前にパソコンのインストラクターの資格も仕事に繋がると思って取りました。 ――それから商工会連合会に就職して、地域創生と出会い、島と出会って今に至るということなんですね。 三田 島との出会いもありますが、起業して、事業を進めていけるのは娘の存在がとても大きいんです。 今の自然環境を次世代に繋いでいこう、少しおかしくなっている部分があれば、何か行動を起こそうと思えたのは、やはり自分の娘に何をつないでいくかを考えたからなんです。株式会社にしたのも、事業を継続していきたいという思いのあらわれです。 私は、娘から生きていく強さとつないでいくことの大切さを学びました。 私は「自然と共に」今日も仕事をしています 【どんなことにも前向きな三田さん】 ――三田さんがRetocosで大切にしていることは何でしょうか? 三田 私は、島の現状が 『日本の縮図』 だと思っています。自分たちの生活のために、人間がもともとあった自然に手を加え、環境を変えてしまった。そして現代、人口が減り、耕作放棄地が増え、新しい産業も生み出されていないまま過疎化が進んでいる。どんどん衰退している現状が島にはあります。島を知れば知るほど考えることも多くなり、「自分に何が出来るのか」を自らに問いかけてきました。 別にこの島だから、この土地だからといったこだわりはありません。ただ、私は島だったというだけです。 こうした課題は全国どこででも共通している課題です。皆さんには、私がやっている事業だけを答えだと思わずに、その地域の課題に向き合い、環境について考えてほしいです。私は、この島を産地にしたい。そして、継続できる事業にしていきたいと考えています。 ――循環する仕組みづくりが目標であれば、コスメでなくてもよかったのでないですか? 三田 そうなんですよ。自分は「コスメに縛られていたな」と最近気づきました。別にコスメじゃなくてもいいんですよね。自分がこれまでやってきたことを繋いでいったら、コスメや香りを切り口にしていただけのことなんです。私はコスメや香りの資格を持っているわけではありません。土から化粧品を作ったり、土から自分の香りを作るのって面白くないですか。(笑) 私が自然から学んだことを、島に来てくれた人と共有したいんです。 【島で栽培されているハーブ】 ――僕自身も地域活性化の事業に取り組んでいて、なにかと地域活性化の答えを求められることがありますが、答えなんてないんですよね。一人ひとりが地域に入って感じたことで「これをやるよ」って旗を振り、地域に関心を持ってくれた人に問いかけ続けることが大切だと思いますね。 三田 離島って究極のローカル中のローカル、「僻地(へきち)」じゃないですか。そんなところから私は「こんなことがあったらおもしろくない?」って提案しているだけなんです。島を歩いてみるとわかるんですけど、足元には宝物がたくさん転がっています。私は島に生えている雑草でさえ、化粧品の原材料に使うほど、島の宝物を大切にしています。島をコスメや香りの原材料のある産地にして、それをきっかけに、人が島に来てくれるようにすること。香りづくり体験などを通じて、これからの地域資源や環境について考えるきっかけにしてもらいたいのです。。 ――人間関係もそう。心の距離もそう。三田さんは島を通じて、自然との関係性を再生し、編み直す事業をしているように感じますね。 三田 自分では“香り” が島を知り、環境を知り、環境について考えてもらう方法だったんです。地域活性化に答えなんてでなくてもいいんです。この場所に自生している植物を使って、その人と私の合作の香りを生みだすことで心を通い合わせる。これこそが、本当に自分がやりたいことなのです。 【一つ一つ手作業で抽出している島の香りたち】 ――香りを持ち帰った後に、ふと作った香りをかぐと、作った時の記憶が呼び起こされることがありますもんね。それも感覚の共有することに繋がる気がしますね。 三田 自然と人との間に一定の距離感を保ちながら関係性を紡いでいく。島に来た方が、島を離れても、香りをきっかけに島のことを思い出し、島から感じ取ったことを自分の生活に取り入れて欲しいんですよね。 【自然とともに仕事をする三田さんは常に自然体だ】 ――最後に、三田さんの今後の展望などあればお聞かせいただけますか? 三田 NPOを始めた時は「島のために」という想いはありました。でも私は島の人でないから、私に島をどうにかしてもらいたいと思わない人もたくさんいます。 私は、社会貢献をしたいわけではありません。 島の宝物でもある椿やハーブの産地を作り、島に訪れて事業を生み出し、関係人口を作り、自然を再生させて経済回す。自分がやりたいことをやっていく。だたそれだけですね。 ――三田さんは今後、「何者」になっていくんでしょうかね? 三田 自分は何者でもない。無色透明で無臭な空気でありたいです(笑)。「今日の風はこちらから吹いているな」ぐらいの気分でね。事業を継続するためには、今何が出来るかを考えて行動を続けます。それが私の現在地であり、それ以上でもそれ以下でもないんです。だから私は「自然と共に」今日も仕事をしています。 ――お忙しい中、ほんとうにありがとうございました。 プロフィール 三田かおりさん 佐賀県佐賀市出身。外資系化粧品メーカーに就職後、出産を機に佐賀県内の商工会連合会に転職。JCCを経て、人口減少、耕作放棄地問題など、地域課題に直面し、島に産業を作り活性化につなげたいとNPO法人リトコスを設立。2021年には株式会社Retocosの代表を務めている。現在、エシカルツーリズムや離島留学などの幅広い事業にも取り組まれている。