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自治体の「常識」覆して進む佐賀県の起業家支援 横展開のカギは仕組み化とオープンイノベーション

自治体の「常識」覆して進む佐賀県の起業家支援 横展開のカギは仕組み化とオープンイノベーション

佐賀県が取り組むスタートアップ支援プログラム「Startup Ecosystem SAGA」。佐賀県のスタートアップ育成や資金調達支援について調査研究活動を続けてきた熊田憲(くまた・さとし)・弘前大学人文社会科学部准教授は「自治体の常識を覆しながら進めてきた」と佐賀県の取り組みを評価する。全国からの視察も後を絶たない佐賀県の起業家支援の特徴や、他の自治体が参考にするにはどうすればいいのかなど、熊田准教授に話を聞いた。 聞き手・毎日みらい創造ラボ 永井大介 ――佐賀県の起業家支援の取り組みに出会った経緯は? 熊田さん 2017年、クラウドファンディングで資金を集める方法が広まり始めていたころ、私はクラウドファンディングの研究を始めました。地銀の動きを中心に調べていたのですが、腰を据えてやっている地銀が見つからない中、2021年に「佐賀県が本気でクラウドファンディングに取り組み、クラウドファンディングの成功率を上げている」という噂を聞き、佐賀県に連絡をして、取り組みを調べさせてもらったというのが最初の出会いでした。 クラウドファンディングに競争原理を導入 ――佐賀県が実施していたクラウドファンディングはどのような特徴があったのですか? 熊田さん 県と資金調達を専門職とするファンドレーザーが連携協定を結び、企業が行うクラウドファンディングの資金調達をサポートし、最終的に調達額の10~20%程度が佐賀県より支給される仕組みで、非常に画期的でした。 県が仲介役となり、挑戦したい企業とファンドレーザーを引き合わせるケースや、ファンドレーザー自身が県内の案件を掘り起こす場合もありました。この仕組みだと、ファンドレーザー間で競争が起きますし、報酬も結果に応じた「成果報酬」となります。 出典=熊田氏の論文、「 佐賀県によるクラウドファンディング:地方創生の実現に向けた影響と効果 」より抜粋 普通に考えると、行政では年度始めに成功報酬分の予算を確保しておく必要があり、行政の性質を考えると、通常はこの予算を年度内に消化する必要があります。しかし、佐賀県ではこの部分にある程度の自由度があり、佐賀のためになることを優先させるべきとの認識がありました。 この自由度を認める柔軟さが、ファンドレーザーを競わせる仕組みを生み出していました。 非常に面白いし、今まであまり聞いたことがないので、さらには、クラウドファンディングの成功率の上昇といった成果に結びついていました。 出典=熊田氏の論文、「 佐賀県によるクラウドファンディング:地方創生の実現に向けた影響と効果 」より抜粋 地方は都会とは異なり、金融機関やベンチャーキャピタルなどビジネスをサポートする人や組織は少ない。ファンドレーザーも例外ではなく、マーケットが大きな都会の方が、事業も商売になりやすい。そうすると地方では調達したくても、誰にも助けてもらえないという状況が出てきます。 現在、いくつもプログラムを走らせている佐賀県の起業家支援の取り組みですが、当時は試行錯誤の段階で、どうあるべきかを模索している時期でした。最初はチャレンジする方々の資金調達をどうするか、といった視点から始まったと思います。 県庁内イノベーターが活躍できる組織風土が佐賀県の成功の秘訣 ――佐賀県では産業労働部産業DX・スタートアップ推進グループが時に起業家にFacebook Messengerで直接アドバイスを送っています。ここまで起業家に寄り添った支援をする自治体は他にはありますか? 熊田さん 私の調べた範囲では他の自治体では聞いたことがありません。佐賀県では、全国に羽ばたく規模のスタートアップはまだ十分には育っていませんが、時間が経てば成功事例はいくつか出てくると思います。佐賀県の取り組みは、自治体の取り組みとしてモデルケースになりうる可能性を秘めていると考えます。 ただ、「どんな自治体でも佐賀県と全く同じことができるのか?」という疑問は残ります。他の自治体で業務の中に、産業DX・スタートアップ推進グループのような動きを、組み込むことができるのかといえば、なかなか難しいと思います。 佐賀県で起業家支援の取り組みを中心になって進めてきたのは、産業DX・スタートアップ総括監の北村和人さんです。北村さんのようなイノベータータイプの人物が、自分の能力を県庁という行政組織の中で発揮できることが、自治体という組織の性質を考えた時に、すごいことなのです。 北村さんのようなイノベータータイプの行政マンが全国の自治体に数多くいるとは思えないし、多分、そんなに人数もいらっしゃらないでしょう。 また、イノベーターが自治体の中にいたとしても、組織が硬直化していることが多く、佐賀県のようにイノベータータイプの行政マンが、自分の能力を発揮できる環境は少ないと思います。北村さんと一緒に働く、産業DX・スタートアップ推進グループのメンバーも含めて、「この人たちだからこそできた」「佐賀県庁だからこそできた」というのが、今の佐賀県の起業家支援の実情なのだと思います。 ただ、企業経営も同じですが、イノベーターがいる所でしかイノベーションを生み出せないとなれば、イノベーションの機会は非常に限られてしまいます。ごく一部の、天才的なイノベーターがいなければイノベーションを起こすことができないとなれば、そういう人がいない組織は打つ手はなくなってしまいます。 イノベーターがいない組織でイノベーションを生み出すには、「仕組み化」、「オープンイノベーション」が鍵を握ると考えます。 具体的には、組織が「起業家を支援する目的」といった本質的な部分をしっかりと組み立て、自分たちにできることは自分たちでやり、自分たちにできない部分は、オープンイノベーション的に、外部の専門家の知識を借りて実施するという方法です。 他の自治体でも、起業家支援に取り組んでいるケースは増えていますが、自治体が自分たちだけで抱え込んでしまってお手上げになったり、外部に丸投げしてしまい結果が出なかったりする自治体が多いと思います。自分たちにできることを明確にすることで、イノベーターがいない組織であっても光が見えてくるのではないでしょうか。 目標設定、連携マネジメント…起業家支援で自治体がやるべきこと ――自治体が自分たちでできることと外部組織にお願いすること、どのあたりで線引きするのが良いのでしょうか? 熊田さん どこからどこまでを線引きをするかは、ケースバイケースなので、「ここだ」と言い切れるものではないのですが、まずは、外部の知見を借りながらも、全体をしっかりとマネジメントすることが大切です。 自治体は民間企業ではないので、外部の民間企業と協業しながら、全体マネジメントをする事自体、得意ではないとは思うのですが、そこをどれだけきちんとコントロールできるのか、連携マネジメントができているかを自治体は問われていると思います。 オープンイノベーションで外部の民間企業と起業家支援プログラムを実施した場合、外部の民間企業が自分勝手に動けば、最終的な目的や目標がずれてしまう懸念があります。まずは自治体が最終目的を明確にして、最終目的に進むための枠組みを作り、最終目的にたどり着けるよう、参加する組織それぞれが連携することがマネジメントでは求められます。 ――産業DX・スタートアップ推進グループは、ミッション・ビジョン・バリュー(MVV)を作り上げています。各プログラムで年度ごとの達成目標を見据えつつ、大きな目標として佐賀から世界に飛び出すスタートアップを作るということを、県庁と外部の事業者が目線をそろえています。 熊田さん MVVがしっかりと存在することで、オープンイノベーションで入ってくる外部組織にも「我々の最終目標はこれだから」と明示することができますし、外部組織もミッションから外れたことはできなくなる。 「これをやってください」とか「これはやってはダメです」という制度ではなくて、「このミッションに向かうために必要なことはやっていいですよ」という制度であれば、一時的にメリットが生まれるようなことでも、ミッションとは関係のないことであれば、「ミッションと外れるようなことは控える」流れにつながり、外部組織が「やらないこと」が明確になります。 地方自治体は国とは異なる「きめ細やかな」起業家支援を ――政府もスタートアップの育成に向けた5か年計画の原案をまとめ、スタートアップへの年間投資額を現在の約8000億円から2027年度に10兆円規模に引き上げ、評価額1000億円以上の未上場企業「ユニコーン」を100社に増やすことを目指しています。国がスタートアップ育成に舵を切る中で、地方自治体のスタートアップ支援はどのような形を目指すべきでしょうか? 熊田さん 国のスタートアップ支援は当然必要でしょうし、やらなければならないことだと思います。国という規模感を考えた時に、国でしかできないことがありますので、国がやらなければならないことに注力して頑張っていただきたい。 一方で、私が対象にしているような、極端な言い方かもしれませんが、どこにでもいる普通の人の発想や、ちょっとした工夫とか、そういうものまで「国が支援しろ」と言われても、国も「いや、そこまではできないよ」となると思います。 こうした地域の小さなイノベーションの芽は、地域でしか支援できません。こうしたものに目を配り、声を拾い上げて、伴走して、密にコミュニケーションを取る、まさに佐賀県がやってきたことだと思います。 その地域の中核産業がどういったもので、その強みがどこにあるかを知っているのは地域の人です。そうした前提を踏まえて、その地域でしかできないことを、きめ細かく支援していくことを地域ではやっていけばいいだろうし、国の支援が必要なほど大きく成長する事業は、地域では対応できないので、国の支援を受けてやってもらうイメージだと思います。 ただ、国の支援だけだと埋もれてしまうアイデアはたくさんあるし、アイデアがあるのにチャレンジもできない状態は地域として非常にもったいない。一番地域のことをよく知っている人たちが、「これはうまくいくのではないか」「地域の中でいろいろ波及効果もあるかもしれない」と目利きをして、支援する形がいいのではないでしょうか。 ただ、地域にはあまりお金がないので、クラウドファンディングでもほかの手段でも形は問いませんが、お金をなんとか引っ張ってきて、アイデアを試してみる。ダメだったら、諦める。こうして試す人がどんどん出てきて、トライアンドエラーができる地域になっていかないとダメで、昔と同じビジネスを昔と同じやり方でやっていくのでは、先細っていくのは目に見えています。 「公平性」「平等性」の壁を仕組みで乗り越えた佐賀県 ――イノベーションを生み出す環境作りという点でトライアンドエラーを誘発するために、ある程度の失敗は許容してもらえる心理的安全性も大切だと感じています。そういう意味でも、県民の方を見て、県の産業とか企業を見ている自治体の役割は非常に大きいのではないでしょうか。 熊田さん もともと、自治体の仕事にはオープンイノベーションのためのマネジメントなんてものはありませんでしたし、成功するかしないかを後押しすることも仕事ではなかったはずです。 自治体の仕事は、最終的には平等性や公平性に行き着きますし、特定の民間企業だけをこう支援していいのかという議論は必ず最終的には出てきてしまいます。そういう意味で、佐賀県の取り組みは、自治体の常識を覆しながら進んでいると感じますし、可能性を秘めてると思います。 ただ、公平性、平等性の議論で言えば、支援する特定の企業を公募し、審査プロセスの透明性を高めることで、「不平等だ」という指摘についても、「そんなことは無いのであなたも応募してください」と説明ができます。 平等性や公平性は仕組みで担保してることをオープンな形で示すことができれば、特定の企業の支援は自治体でも可能なのではないかと佐賀県の取り組みで感じます。 ある種、「平等性、公平性が担保されない」と、後ろ向きな自治体は、自分たちで仕組みを考えることができず、何も仕掛けないことが当たり前になっているのだと思います。今後、自治体の能力、実力で地域差は拡大していくのでないでしょうか。 自分たちのできる範囲でできることをやっていけばいいし、できないのであれば、できる人にやってもらえばいい。できる人が地域にいるのであれば、なるべく地域の人たちを使いつつ、地域にいないのであれば、地域の外から連れてくれば良い。そういう形で広げながら、組織間の関係性を保った上で、全員でなんとかしていこうという心構えが大切だと思います。閉塞感が強まる地方では、総合力で何とかするしかないでしょう。 戦後、日本が進めてきた、中央で集めて、地方に流すというやり方は終わったと感じていますが、今でも地方は待ってる人が多いのではないでしょうか。「いつかまたあのいい時代に戻るんじゃないか?」と幻想を抱いている方もいるかもしれませんが、戻りはしません。待ってる間にその地域はなくなってしまう。そんな時代なのだと思います。 厳しい言い方かもしれませんが、何もやらずに待っているだけで動かなければ、見捨てられます。少なくとも助けて欲しいのであれば「助けてくれ」と言わないといけないし、やりたいことがあれば「やりたい」と言わないといけない。 待っていて救世主が現れて、助けてくれることはもうないと思います。動いた、頑張ったという地域だけが残る可能性があり、頑張らない地域は衰退する運命にあると思います。 熊田憲 1966年宮城県仙台市生まれ。東京理科大学卒業後、石川島播磨重工業を経て、東北大学大学院を修了、研究職の道に。東北大、事業創造大学院大学などを経て、2016年4月から現職。新規事業支援等に関するクラウドファンディングの効果について研究。「佐賀県によるクラウドファンディング:地方創生の実現に向けた影響と効果」「クラウドファンディングと地域イノベーション:ファンド・インキュベーション概念の探求的考察」など多数の論文を発表している。

Jカーブ成長を前提としない佐賀型起業家支援 日本社会に浸透し始めた「ゼブラ企業」との類似点

Jカーブ成長を前提としない佐賀型起業家支援 日本社会に浸透し始めた「ゼブラ企業」との類似点

佐賀県のスタートアップ支援プログラム「Startup Ecosystem SAGA」は、ビジネスアイデア創出からプロモーションまで、6つの手厚い支援策を用意している。じっくり時間をかけてビジネスの中身を磨き上げるその姿勢は、短期間での急成長が必須とされるユニコーン企業だけではなく、より幅広い起業家の実情や課題に応え得るアプローチとして注目を浴びている。長期的な視点に立った起業家育成は、社会課題解決を目標とし、持続的繁栄を目指す「ゼブラ企業」と重なる点が多い。株式会社Zebras and Companyの共同創業者として「ゼブラ企業」の定着と「ローカル・ゼブラ」の普及に取り組む田淵良敬さんに「ゼブラ」の本質と地域発の事業創出について話を聞いた。 ――地域発で活躍をしている佐賀の起業家はまさにゼブラ企業になるのではということで今日はお話をうかがわせていただきます。 田淵さん 実は私の義理の父母が佐賀県出身です。そういう意味では縁深いですね。 ――Zebras and Companyの共同創業者で、代表取締役を務めていらっしゃいますが、どういう経緯で始められたのでしょうか。 田淵さん 私の経歴からお話しますと、約10年前からインパクト投資というものに関わってきました。2014年から15年ごろに、LGT Venture Philanthropyというリヒテンシュタインのロイヤルファミリーがやっていたインパクト投資ファンドに勤めて、15年に日本に戻ってソーシャル・インベストメント・パートナーズや社会変革推進財団で日本の社会起業家への投資や経営支援をしてきました。 やりがいもあったし、楽しかったのですが、同時に問題意識を持つようにもなりました。 日本では2010年前後くらいから、海外だともっと昔からスタートアップやベンチャーキャピタル(VC)が盛り上がりを見せて一大業界のようになりましたが、私が当時携わっていたインパクト投資の世界にも投資ファンドをやっていた人たちがたくさん入ってきました。 VCの手法は、簡単にいうとシリコンバレーにあるような企業に投資して、3年や5年といった短い期間に大きく成長させるというものです。あるポイントを過ぎると指数関数的に事業がスケールしてくる。よく言われるJカーブのように伸びて5年で上場するくらいのサイズ感になるので、それを狙って投資するわけです。 インパクト投資にもその考え方が持ち込まれましたが、世界中にユニコーンと言われる会社はたった1500社ぐらいしかない中で、インパクト投資にその手法を持ち込んでも、投資対象となる会社は限られてしまいます。 一方で、Jカーブのような成長はしないかもしれないけど、持続的な成長をしている社会起業家もいるわけです。自分の事業のステークホルダーにどういうインパクトを与えていくかと考えながら、事業を作る人たちです。資金供給側が見ている世界と、起業家や経営者の間には大きなギャップがある。事業の性質と資金の性質を合わせなければならない。これが、私が持った問題意識です。 そんなことを思っているころ、偶然の出会いがありました。ゼブラという概念はアメリカの女性4人が最初に作ったコンセプトなんですが、たまたま海外のカンファレンスで彼女たちと会う機会があったんです。私は是非日本でもと思い、彼女たちがやっている「Zebras Unite」の日本チャプターを作り、ゼブラの啓蒙を始めました。 図1 Zebras and CompanyのTheory of Change(TOC) これはTheory of Change(TOC)という、我々のビジョンに向かっていくステップみたいなものです(図1)。最初に始めた啓蒙が一番下に書かれていて、一番上の「優しく健やかで楽しい社会」を作りたいというビジョンに向かって取り組んでいるわけです。 今のステージは真ん中の赤紫の部分です。啓蒙の次は実務をしようということで、資金調達をして2021年にZebras and Companyという株式会社を立ち上げました。 ―― 「資金供給側が見ている世界と、起業家や経営者の間には違いがあり、資金の出し手側の事情が先に立ちすぎるとビジネスがゆがんでしまう。むしろ、事業の性質の側から資金の出し方をより多様なものにしていかなければならない」というのは、先に佐賀県の関係者と起業家との対談のなかでもでてきていました。 ところで、今はどんな事業をされているのですか。 田淵さん ゼブラ企業を社会に実装するということで、投資や経営支援をしています。「ゼブラ経営を理論化」と言っていますが、言語化、定量化、概念化といったことに取り組んでいます。 それを活用しながら、いろんな方たちとコラボレーションしたり、パートナーシップを結んだりして、社会に広まるようにしています。 最近、形になってきたのは政策です。2023年度骨太の方針(経済財政運営と改革の基本方針)にゼブラ企業の推進が明記されました。それを受けて中小企業庁と「ローカル・ゼブラエコシステム」推進政策を検討し、2024年3月6日には基本方針と2024年度の実証事業について発表することができました。 今後はさらに上の段階として、我々が関わっていないところでも、ゼブラ経営を行いたいという人、そういう会社をサポートしたいという人が増えてくればと思います。特に、資金面で既存のハイリスクハイリターンの投資とは時間軸やリターンは違うかもしれないけれど、お金を出す意義があるということが広まってほしいです。 日本にフィットしたゼブラ企業の概念 ――ユニコーンは定義づけがはっきりしていますが、ゼブラ企業はどういう位置付けと考えたらよいでしょう。 田淵さん 我々が考えている四つの特徴があります。 1:事業成長を通じてより良い社会をつくることを目的としている 2:時間、クリエイティブ、コミュニティなど、多様な力を組み合わせる必要がある 3:長期的で包摂的な経営姿勢である 4:ビジョンが共有され、行動と一貫している ユニコーンは、時価総額が10億ドル以上で未上場という外形的基準があるんですが、ゼブラ企業についてはそこまではっきりした定義はしていません。「特徴」と言っています。外形的なことよりも、経営姿勢とかマインドセットを大事にしているからです。 ――ゼブラ企業が注目を浴びつつある背景はなんだと思いますか。 田淵さん 世の中のサステナビリティみたいな流れはあると思います。 私がやってきたインパクト投資もそうですし、ESGやSDGs、最近だとパーパス経営などいろいろな言葉がありますが、いわゆる行き過ぎた資本主義や株主至上主義みたいなものが見直されてきた中で、ゼブラ企業もその一つみたいな形で捉えられているのだと思います。 やってみて気づいたのですが、ゼブラ企業の考え方は日本にとてもフィットしていたのです。先ほどお示しした特徴を見ていただくと分かるのですが、実は日本企業、いわゆる老舗企業が持っている特徴や経営姿勢と合ってるんです。アメリカから輸入したコンセプトですが、日本ではすごくフィットして広がっているということで、世界からも注目されています。政策に取り入れられた国は他にあまりないですしね。 ――ローカル・ゼブラが国の政策に入ったという話でしたが、全国の地方自治体もスタートアップ支援を活発化させています。こうした動きは起業家が育つのに寄与するでしょうか。エコシステムとして地域に定着するでしょうか。 田淵さん 一口でスタートアップ支援といっても、いろんな支援があるので、例えばフィンテックをやっているようなザ・スタートアップ、ユニコーンを何社か生み出しましょうみたいな内閣府の政策に合わせた施策を打ち出している地方自治体も結構あります。 一方で、そういう支援策もやっているけれども、本当に自分の地域にユニコーンっているのって内心思っている人たちもいます。ゼブラ企業だったらいるかも、というのは結構言われますね。 国としてはユニコーンのようなスタートアップを後押しするということでやってきましたが、東京などの都会とかだったらまだしも、その政策がどの地域にも一様に当てはまるとは限らないわけです。だんだんみんなそれに気づいてきて、自治体の支援にも多様性が出てきました。 上場は手段 地域にとっての最適が重要 ――佐賀県のスタートアップ支援は先駆的な取り組みだということで他県からも視察に来られています。「Jカーブ自体を否定するわけではないけど、そうした成長だけが唯一ではない」ということを支援の軸にしているので、Zebras and Companyと考え方が通底していますね。 田淵さん 似ていますね。我々も、言い方には気をつけていますが、ユニコーンやJカーブを否定しているわけではないんです。ただ、それを「前提としない」という言い方をしています。それが合うビジネスの方たちにとっては、VCはとても心強い味方になるわけです。同じ目標に向かって走ってくれて、お金も出してもらえるわけですから。 ただ、どんなビジネスもみんな上場しなきゃいけませんとか、Jカーブするということを前提にしてしまうと、手段と目的が入れ替わってしまいますよね。あくまでも上場は手段です。 どちらかというと、適材適所、多様性みたいな話ですね。まさに佐賀県さんがやってらっしゃるみたいに、両方あっていいと思うんですが、上場だけじゃないよねっていうのが重要なんだと思います。 ――これからの地方でのスタートアップ支援はゼブラ的なところに軸足が向かっていくのでしょうか。 田淵さん 内閣府がユニコーンを作ろうと言っているからそれに合わせて、というのは所与の条件ではないと思うんです。自分の地域にどっちが合っているか、どういう政策が合っているかをまさに考えるべきです。そもそもどんな地域を作りたいかというところでしょうね。それとその地域の現状を考えた上でどれが最適なのかを選んでいくということです。どの地域にも当てはまる政策はないわけですし、東京と地方は当然違う。いかに自分たちで考えるかっていうことが重要だと思います。 ビジョン掲げて仲間を作る ――利益追求型の企業は、利益が基準になるので経営面ではある意味分かりやすいです。一方で長期的な視野で社会性を優先させていく企業は、収益性などの業績の指標がおろそかになり、結果的に経営に失敗する可能性もあります。特に地方で起業する上では、人的資源や機会創出の面で都会に比べるとハンデがあるので、佐賀県ではそこを埋めようと支援しています。ゼブラ企業が地方で持続的な経営をするためにはどんな工夫が必要ですか。 田淵さん ゼブラ企業の経営はすごく複雑ですよね。利益追求型はシンプルだけど、それでも経営は難しい。ゼブラ企業の場合は、さらに社会的な軸が一つ増えるのでより難しくなるのはその通りです。これをやれば絶対にうまくいくというものはないので、無数の工夫をしなければなりません。 あえて言うと、特に地域ではいかに仲間を増やせるかが大事だと思います。 仲間は企業にとってリソースになります。我々にも、いろいろな形で協力してくれる仲間がいて、時間やお金を提供してくれています。たくさんの仲間の中から5社ほどが投資してくれています。 もちろん、戦略を作ったり、事業を作ったりするのは大事ですが、まずはリソースサイドをいかに充実させるかが大事だと思います。リソースがあれば打ち手が増えるので、自分たちの仮説も検証できて、成功確率が上がってくる。そうすると事業が出来てくるし、売上が伸びていく。こういう循環を作れるかが重要ではないでしょうか。 ――仲間作りとひとことで言っても大変ですよね。 田淵さん 難しいです。仲間を作るときに必要なのは、地域のビジョンとか思想なんですね。我々の言葉では、社会的インパクトと言い換えられるかもしれない。 社会的インパクトを掲げ、可視化して世に見せるのは、仲間を作るのにすごく大きな役割を持ちます。それを見て共感してくれて求心力が出てくる。集まった人たちがリソースになっていく。それは企業にとっても自治体にとってもそうなんだと思います。だから手段を考える前に、何をしたいという思いがあるかが重要なのです。 社会的インパクトと経営の両立 ――ゼブラ企業は、社会貢献などに目標があって利益優先ではない分、利益を目指さなくていいという言い訳にもなりかねないと思います。せっかくゼブラ企業に対して出資をしようという流れができつつあるのに、潰れる会社ばかりだと資金の流れが止まってしまい、当初の目標である社会課題の解決も遠のきかねないですよね。経営との両立が必要というマインドを広げていくことが必要ですね。 田淵さん その通りだと思います。難しいとは思いますが、だからこそ自分たちも含めて支援者がいるんだと思います。我々も投資先に何年かけてもいいよ、インパクトも何でもいいよ、というやり方はしていません。 投資するときには財務的なところも含めて目標を作り、そこに至るための戦略も作ってサポートしていきます。会社の持続性を無視して潰れられては困るので、そういうマインドセットを持った方たちが増えていくことが大事ですし、それを支援していくことも大事だと思っています。 ――最後に佐賀の地域から起業を目指す皆さんへのアドバイスをいただけますか。 田淵さん 起業されるということは、自分のやりたいことやパッションを持っているはずなので、それをかなえるために柔軟に考えてもらいたいですね。中小企業庁が始める実証事業もまさにそういうことを後押しするためのお金なので、ぜひ使ってほしいです。 ユニコーンでもゼブラでも、既存の枠がこうだから、それに自分たちの事業を当てはめるのではなくて、自分が本当にやりたいことは何なのかということから逆算して、どういう手段を使えばそれが達成されるのかということを柔軟に考えて欲しいです。佐賀県の取り組みもそうですが、探せば世の中にリソースはあるのでうまく使ってもらいたいと思います。 田淵 良敬 日商岩井株式会社(現双日株式会社)、米国ボーイング社を経て、LGT Venture Philanthropyやソーシャル・インベストメント・パートナーズで国内外のインパクト投資に従事。 その後、アメリカの4人の女性起業家が組織したZebras Uniteが提唱した「ゼブラ」の概念に共感し、Tokyo Zebras Uniteを創業。2021年に株式会社Zebras and Companyを共同創業する。 Zebras and Company 共同創業者 / 代表取締役、米国Zebras Unite理事、Tokyo Zebras Unite 共同創設者 / 代表理事。

佐賀藩の遺伝子、佐賀県に 受け継がれる先進性

佐賀藩の遺伝子、佐賀県に 受け継がれる先進性

明治の近代化の立役者とされる佐賀藩。鉄製大砲や蒸気機関を日本で初めて内製化するなど先進技術を積極的に取り込んできた佐賀藩は、有為の材を多数輩出した。中でも進取の精神で日本の近代化を推し進め、早稲田大学を創設した大隈重信の存在は大きい。そうした佐賀藩の遺伝子を引き継いだ佐賀県は今、スタートアップ支援で全国の注目を集める。佐賀県の先進的な取り組みについて、大隈を描いた「威風堂々」(中央公論社)などの著作を持つ作家、伊東潤さん(63)に聞いた。 聞き手 毎日みらい創造ラボ・高塚保 ――佐賀県のスタートアップ支援プログラム「Startup Ecosystem SAGA」は 段階に応じた6つの個別指導プログラムで 起業家の成長に伴走しています。 伊東さん 単にスタートアップ支援をしましょうでは、起業家はついてきません。佐賀県のスタートアップ支援は、しっかりしたロードマップができており、それに乗っていけば企業が形作られていくという画期的なものです。こうした現実的な発想は大隈重信のものに近く、佐賀県人の遺伝子に染み込んでいるのかもしれません。 幕末の志士たちの高潔な志があってこそ、明治維新は成ったかもしれませんが、佐賀藩士たちの参画によって理念は現実的な実行計画に変容し、近代国家日本が形成されていったのは、まぎれもない事実です。こうした大事業は理念だけではだめで、具体的な計画を立てられる人間がいないと成功しません。 具体的に言うと、鉄道を敷設するにも、貧乏国家日本には資本がありませんでした。それゆえ大隈重信などは、どこからいくら借り、いつまでに事業を軌道に乗せ、利益を出して借金を返済できるかといった計画を綿密に練り上げました。こうした大隈の計画性は、富岡製糸場などの殖産興業策全般にわたり、どれだけ日本の近代化に貢献したか分かりません。 現代の佐賀県の取り組んでいるスタートアップ支援も同様で、しっかりしたロードマップが出来上がっており、起業家は安心して身を任せられます。 鉄製大砲を内製できた唯一の藩=佐賀藩 ――佐賀藩は現在の理化学研究所ともいえる精錬方を設立するなど、新しいことを取り入れていく風土があります。その背景をどのように考えていらっしゃいますか? 伊東さん 幕末の佐賀藩には、蘭癖大名と呼ばれた藩主・鍋島閑叟(十代藩主、鍋島直正)がいました。彼はオランダなどの海外の技術を学び、自藩で反射炉を造り、鉄製の大砲や蒸気機関を製造し、それを幕府や他藩に売って稼いでいました。薩摩藩主の島津斉彬も同じように西洋の技術を取り入れ、集成館事業と呼ばれる殖産興業策を推進しましたが、外販には至っていなかったので、佐賀藩の先進性には驚かされます。 そもそも十八世紀末に産業革命を成し遂げた西欧諸国は、植民地政策を取り始め、東洋にも進出してきます。天保十一年(1840)、阿片戦争で清国が半植民地化されたのが典型例ですが、これにより欧米諸国の日本への侵攻が現実味を帯びます。こうした世界情勢を感じ取った閑叟は反射炉の開発研究に取り組みます。 しかしいかに佐賀藩が豊かと言っても限界があります。それゆえ閑叟は「西欧の産業革命は、鉄製大砲と蒸気機関」と認識し、選択と集中を図ります。このあたりが、何にでも興味を持った薩摩藩主の島津斉彬と少し違う点です。かくして佐賀藩は、ペリー来航以前から鉄製大砲を自力で製造できる唯一の藩となりました。 しかし世の中は攘夷の嵐が吹き荒れていました。攘夷思想を信奉し、西欧文明を拒否したのが長州藩・水戸藩・尊王攘夷志士たちですが、その逆に「夷の術を以て夷を制す」の道を進んだのが佐賀藩や薩摩藩でした。この二つの藩の出身者が主力となり、明治維新以降の近代化は推進されていくことになります。 政府移管で地域の工業化が衰退 ――佐賀藩は 日本で初めて大砲を内製化するなど、かつては高い技術力を誇っていましたが、その後、経済的には決して恵まれた状況にはなっていません。佐賀の乱などの影響が挙げられることがありますが、どのようにお考えでしょうか? 伊東さん 明治維新によって士族が身分的特権を失い、不満がたまっているところに、政府内の征韓派が下野したことで、士族たちの不満の持って行き場がなくなります。その頃の佐賀藩には、江藤新平に近い考えの征韓党と近代化に反対する憂国党があり、暴発寸前でした。そこに江藤が帰国することで火に油を注ぐことになり、佐賀の乱が勃発します。 しかし佐賀の乱が、佐賀藩時代から培ってきた佐賀県の産業を衰退させたわけではありません。 薩摩藩も同じですが、斉彬の集成館事業などがすべて政府に移管されたので、地域としての工業化は後退していきます。江戸幕藩体制のよさは、大名当主が自由に藩財政を掌握し、その使い道も好き勝手にできたことで、それがなくなれば地域の独自性や先進性は失われていくのは当然です。士族の反乱が原因だったというよりは、事業そのものを国家に接収されてしまったことで、地域の独自性や先進性が薄まってしまったのが衰退の原因です。 とくに廃藩置県後は、その地域の出身者でもなく、地域の発展にさほど熱心でもない藩知事が任命され、地域性は埋没していきます。その点、現在の佐賀県の山口祥義知事は鍋島閑叟のようにアイデアマンで、独自の県政を行っています。トップのそういった姿勢もあってでしょうけど、例えば、スタートアップやDX(デジタルトランスフォーメーション)についても国や他県とは違った独自の取組につながっているのではないでしょうか。佐賀県の目指す方向性は、これからの県のあり方の一つのモデルとなるはずです。 ――佐賀藩は長崎・出島の警護を務めており、欧州からの情報に触れられたことから先見性があったと言われています。大隈も長崎に出入りしていたようですが、長崎の経験は大隈にどのような影響を与えたのでしょうか? 伊東さん 大隈の父の信保は長崎港警備を専らとする石火矢頭人(大筒組頭・砲台指揮官)で、知行三百石に 物成 (役料)百二十石を拝領しており、上級家臣に名を連ねていました。 石火矢頭人は、佐賀藩と福岡藩黒田家が一年交代で幕府から任命されている「長崎御番」の中核となる極めて重要な役割を担っていました。 信保は数学的知識を持った砲術の専門家で、幼い大隈を大砲の試射場や長崎にしばしば連れていき、大砲の発射教練を見学させていました。佐賀と長崎の間は海上三十里(約百二十キロメートル)ほどで、船を使えば一昼夜で着きます。 四十七歳で死去した父と大隈重信が過ごした日々は長くはなかったのですが、大砲と築城(台場)に強い関心を抱いたのは父の影響だったと、後に大隈は述懐しています。 その後、大隈は佐賀藩の貿易事業に携わり、佐賀藩の特産品を売り、列強から艦船や機械を購入する仕事に就きます。この頃に学んだ国際的な貿易ルールや外国商人との交渉術が、後年大いに役立つことになります。 交渉力と財政運営に優れた大隈 ――大隈は征韓論に反対して明治政府の中で生き残りました。その後、鉄道敷設、太陽暦の導入、郵便制度の整備、富岡製糸場の設立など多くの事業に関わりましたが、こうした大隈の先見性はどこで培われたものなのでしょうか? 伊東さん 一に閑叟の影響、二に佐賀藩の洋学教育、三に義祭同盟(佐賀藩内の尊王組織)での切磋琢磨、四に英語の師であるフルベッキの情報でしょうね。佐賀市にある大隈邸に行った折、蔵のようなところの二階が大隈の部屋で、そこで義祭同盟の仲間たちと夜から朝まで議論していたと聞きました。そうした切磋琢磨の中で近代化の必要性を感じていたのでしょうね。 さらに東京に出てから、英国公使のパークスとの交渉で鍛えられたのも大きかったですね。大隈の交渉力と財政運営力は、こうした幼少年期から青年期にかけての教育や影響の賜物です。現代を生きる我々には、こうした師に恵まれなくても良書があります。とにかく賢人や先達の書を読みまくることで、自ずと道が見えてくるはずです。 先にも触れましたが、大隈は単にビジョンを提示するだけでなく、実現に至るまでのロードマップが描けるところに強みがありました。そこには具体的な資金計画まで綿密に練られており、当時としては驚嘆すべきものでした。こうした実務の才能は、理想ばかりを追い求める志士たちが作った維新政府にとって、いかに重要だったかを痛感させられます。 ――大隈は政治的にも日本最初の政党内閣を樹立するなど、先進性を発揮しました。下野したこともありましたが、返り咲く。大隈の柔軟性というか、しぶとさはどう形成されていったのでしょうか? 伊東さん 日本を近代国家にさせたいという一念ですね。大隈の凄さは、私利私欲ではなく、常に日本をどうするという観点に立てたことです。名声欲や金銭欲など全くなく、大隈は常に大局に立って明治日本の諸問題に取り組んでいました。教育事業に私財を投じたのも、その一つです。ずっと先を見据えていたからこそ、こうしたことができたのです。 佐賀県人の気質は大隈譲り? ――大隈の進取の精神が、今の佐賀県庁のスタートアップ支援に相通じるところはありますか。 伊東さん DXを意識した佐賀県産業スマート化センターによるIT企業とのマッチングなどは、働き方改革につながっていくのではないでしょうか。これは大隈の合理性につながります。スタートアップ支援の取り組みを始めたのも自治体の中では早かったようですが、とりあえず走り出すという佐賀県人の気質は、大隈譲りなのかもしれません。 私は起業家を志望する若者たちに、伸び盛りの業界よりも衰退ないしは停滞している業界に目を向けることを勧めています。そうした衰退産業を起業によって立て直せと言っているのではありません。なぜその業界が衰退したのかを追究することで、大きな学びがあるからです。目を向けるものは未来の新しい技術ばかりではありません。過去の歴史や衰退していった産業から学ぶことが、自分の事業にも役立ってくるのです。 逆に衰退産業が、スタートアップ企業にとっては狙い所ということもあります。衰退産業ほど先入観、思考停止、固定観念にとらわれていて、そこから脱することができません。これらを取り払ったところで新しいものが生まれてくるので、起業家にとって衰退産業は狙い目だと思います。 佐賀県で事業を立ち上げると、衰退産業に目を向けやすいかもしれません。東京にいると見えないものが、距離を置いた方がよく見えるという面もあるでしょう。地域発のスタートアップは今注目を浴び始めていますが、今後ますます注目されていくのではないでしょうか。 伊東潤 1960年神奈川県横浜市生まれ。 早稲田大学卒業後、外資系企業、経営コンサルタントを経て、2007年「武田家滅亡」で作家デビュー。「国を蹴った男」で第34回吉川英治文学新人賞を受賞。現在、BS11の番組「偉人・敗北からの教訓」(毎週土曜日20時~)で解説を務めている。