テクノロジーとビジネスの未来をデザインする/佐賀県産業労働部産業DX・スタートアップ推進グループ

そのモヤモヤを、 明日のワクワクに。

スタートアップ支援

「佐賀だからこそ」できるイノベーション

佐賀から世界を目指せる起業環境「スタートアップ支援」

起業フェーズに合わせた様々な個別指導プログラムとともに、クラウドファンディングやベンチャーキャピタル投資に関する支援など、民間からの資金調達を促進する事業を行っています。

自治体の「常識」覆して進む佐賀県の起業家支援 横展開のカギは仕組み化とオープンイノベーション

自治体の「常識」覆して進む佐賀県の起業家支援 横展開のカギは仕組み化とオープンイノベーション

佐賀県が取り組むスタートアップ支援プログラム「Startup Ecosystem SAGA」。佐賀県のスタートアップ育成や資金調達支援について調査研究活動を続けてきた熊田憲(くまた・さとし)・弘前大学人文社会科学部准教授は「自治体の常識を覆しながら進めてきた」と佐賀県の取り組みを評価する。全国からの視察も後を絶たない佐賀県の起業家支援の特徴や、他の自治体が参考にするにはどうすればいいのかなど、熊田准教授に話を聞いた。 聞き手・毎日みらい創造ラボ 永井大介 ――佐賀県の起業家支援の取り組みに出会った経緯は? 熊田さん 2017年、クラウドファンディングで資金を集める方法が広まり始めていたころ、私はクラウドファンディングの研究を始めました。地銀の動きを中心に調べていたのですが、腰を据えてやっている地銀が見つからない中、2021年に「佐賀県が本気でクラウドファンディングに取り組み、クラウドファンディングの成功率を上げている」という噂を聞き、佐賀県に連絡をして、取り組みを調べさせてもらったというのが最初の出会いでした。 クラウドファンディングに競争原理を導入 ――佐賀県が実施していたクラウドファンディングはどのような特徴があったのですか? 熊田さん 県と資金調達を専門職とするファンドレーザーが連携協定を結び、企業が行うクラウドファンディングの資金調達をサポートし、最終的に調達額の10~20%程度が佐賀県より支給される仕組みで、非常に画期的でした。 県が仲介役となり、挑戦したい企業とファンドレーザーを引き合わせるケースや、ファンドレーザー自身が県内の案件を掘り起こす場合もありました。この仕組みだと、ファンドレーザー間で競争が起きますし、報酬も結果に応じた「成果報酬」となります。 出典=熊田氏の論文、「 佐賀県によるクラウドファンディング:地方創生の実現に向けた影響と効果 」より抜粋 普通に考えると、行政では年度始めに成功報酬分の予算を確保しておく必要があり、行政の性質を考えると、通常はこの予算を年度内に消化する必要があります。しかし、佐賀県ではこの部分にある程度の自由度があり、佐賀のためになることを優先させるべきとの認識がありました。 この自由度を認める柔軟さが、ファンドレーザーを競わせる仕組みを生み出していました。 非常に面白いし、今まであまり聞いたことがないので、さらには、クラウドファンディングの成功率の上昇といった成果に結びついていました。 出典=熊田氏の論文、「 佐賀県によるクラウドファンディング:地方創生の実現に向けた影響と効果 」より抜粋 地方は都会とは異なり、金融機関やベンチャーキャピタルなどビジネスをサポートする人や組織は少ない。ファンドレーザーも例外ではなく、マーケットが大きな都会の方が、事業も商売になりやすい。そうすると地方では調達したくても、誰にも助けてもらえないという状況が出てきます。 現在、いくつもプログラムを走らせている佐賀県の起業家支援の取り組みですが、当時は試行錯誤の段階で、どうあるべきかを模索している時期でした。最初はチャレンジする方々の資金調達をどうするか、といった視点から始まったと思います。 県庁内イノベーターが活躍できる組織風土が佐賀県の成功の秘訣 ――佐賀県では産業労働部産業DX・スタートアップ推進グループが時に起業家にFacebook Messengerで直接アドバイスを送っています。ここまで起業家に寄り添った支援をする自治体は他にはありますか? 熊田さん 私の調べた範囲では他の自治体では聞いたことがありません。佐賀県では、全国に羽ばたく規模のスタートアップはまだ十分には育っていませんが、時間が経てば成功事例はいくつか出てくると思います。佐賀県の取り組みは、自治体の取り組みとしてモデルケースになりうる可能性を秘めていると考えます。 ただ、「どんな自治体でも佐賀県と全く同じことができるのか?」という疑問は残ります。他の自治体で業務の中に、産業DX・スタートアップ推進グループのような動きを、組み込むことができるのかといえば、なかなか難しいと思います。 佐賀県で起業家支援の取り組みを中心になって進めてきたのは、産業DX・スタートアップ総括監の北村和人さんです。北村さんのようなイノベータータイプの人物が、自分の能力を県庁という行政組織の中で発揮できることが、自治体という組織の性質を考えた時に、すごいことなのです。 北村さんのようなイノベータータイプの行政マンが全国の自治体に数多くいるとは思えないし、多分、そんなに人数もいらっしゃらないでしょう。 また、イノベーターが自治体の中にいたとしても、組織が硬直化していることが多く、佐賀県のようにイノベータータイプの行政マンが、自分の能力を発揮できる環境は少ないと思います。北村さんと一緒に働く、産業DX・スタートアップ推進グループのメンバーも含めて、「この人たちだからこそできた」「佐賀県庁だからこそできた」というのが、今の佐賀県の起業家支援の実情なのだと思います。 ただ、企業経営も同じですが、イノベーターがいる所でしかイノベーションを生み出せないとなれば、イノベーションの機会は非常に限られてしまいます。ごく一部の、天才的なイノベーターがいなければイノベーションを起こすことができないとなれば、そういう人がいない組織は打つ手はなくなってしまいます。 イノベーターがいない組織でイノベーションを生み出すには、「仕組み化」、「オープンイノベーション」が鍵を握ると考えます。 具体的には、組織が「起業家を支援する目的」といった本質的な部分をしっかりと組み立て、自分たちにできることは自分たちでやり、自分たちにできない部分は、オープンイノベーション的に、外部の専門家の知識を借りて実施するという方法です。 他の自治体でも、起業家支援に取り組んでいるケースは増えていますが、自治体が自分たちだけで抱え込んでしまってお手上げになったり、外部に丸投げしてしまい結果が出なかったりする自治体が多いと思います。自分たちにできることを明確にすることで、イノベーターがいない組織であっても光が見えてくるのではないでしょうか。 目標設定、連携マネジメント…起業家支援で自治体がやるべきこと ――自治体が自分たちでできることと外部組織にお願いすること、どのあたりで線引きするのが良いのでしょうか? 熊田さん どこからどこまでを線引きをするかは、ケースバイケースなので、「ここだ」と言い切れるものではないのですが、まずは、外部の知見を借りながらも、全体をしっかりとマネジメントすることが大切です。 自治体は民間企業ではないので、外部の民間企業と協業しながら、全体マネジメントをする事自体、得意ではないとは思うのですが、そこをどれだけきちんとコントロールできるのか、連携マネジメントができているかを自治体は問われていると思います。 オープンイノベーションで外部の民間企業と起業家支援プログラムを実施した場合、外部の民間企業が自分勝手に動けば、最終的な目的や目標がずれてしまう懸念があります。まずは自治体が最終目的を明確にして、最終目的に進むための枠組みを作り、最終目的にたどり着けるよう、参加する組織それぞれが連携することがマネジメントでは求められます。 ――産業DX・スタートアップ推進グループは、ミッション・ビジョン・バリュー(MVV)を作り上げています。各プログラムで年度ごとの達成目標を見据えつつ、大きな目標として佐賀から世界に飛び出すスタートアップを作るということを、県庁と外部の事業者が目線をそろえています。 熊田さん MVVがしっかりと存在することで、オープンイノベーションで入ってくる外部組織にも「我々の最終目標はこれだから」と明示することができますし、外部組織もミッションから外れたことはできなくなる。 「これをやってください」とか「これはやってはダメです」という制度ではなくて、「このミッションに向かうために必要なことはやっていいですよ」という制度であれば、一時的にメリットが生まれるようなことでも、ミッションとは関係のないことであれば、「ミッションと外れるようなことは控える」流れにつながり、外部組織が「やらないこと」が明確になります。 地方自治体は国とは異なる「きめ細やかな」起業家支援を ――政府もスタートアップの育成に向けた5か年計画の原案をまとめ、スタートアップへの年間投資額を現在の約8000億円から2027年度に10兆円規模に引き上げ、評価額1000億円以上の未上場企業「ユニコーン」を100社に増やすことを目指しています。国がスタートアップ育成に舵を切る中で、地方自治体のスタートアップ支援はどのような形を目指すべきでしょうか? 熊田さん 国のスタートアップ支援は当然必要でしょうし、やらなければならないことだと思います。国という規模感を考えた時に、国でしかできないことがありますので、国がやらなければならないことに注力して頑張っていただきたい。 一方で、私が対象にしているような、極端な言い方かもしれませんが、どこにでもいる普通の人の発想や、ちょっとした工夫とか、そういうものまで「国が支援しろ」と言われても、国も「いや、そこまではできないよ」となると思います。 こうした地域の小さなイノベーションの芽は、地域でしか支援できません。こうしたものに目を配り、声を拾い上げて、伴走して、密にコミュニケーションを取る、まさに佐賀県がやってきたことだと思います。 その地域の中核産業がどういったもので、その強みがどこにあるかを知っているのは地域の人です。そうした前提を踏まえて、その地域でしかできないことを、きめ細かく支援していくことを地域ではやっていけばいいだろうし、国の支援が必要なほど大きく成長する事業は、地域では対応できないので、国の支援を受けてやってもらうイメージだと思います。 ただ、国の支援だけだと埋もれてしまうアイデアはたくさんあるし、アイデアがあるのにチャレンジもできない状態は地域として非常にもったいない。一番地域のことをよく知っている人たちが、「これはうまくいくのではないか」「地域の中でいろいろ波及効果もあるかもしれない」と目利きをして、支援する形がいいのではないでしょうか。 ただ、地域にはあまりお金がないので、クラウドファンディングでもほかの手段でも形は問いませんが、お金をなんとか引っ張ってきて、アイデアを試してみる。ダメだったら、諦める。こうして試す人がどんどん出てきて、トライアンドエラーができる地域になっていかないとダメで、昔と同じビジネスを昔と同じやり方でやっていくのでは、先細っていくのは目に見えています。 「公平性」「平等性」の壁を仕組みで乗り越えた佐賀県 ――イノベーションを生み出す環境作りという点でトライアンドエラーを誘発するために、ある程度の失敗は許容してもらえる心理的安全性も大切だと感じています。そういう意味でも、県民の方を見て、県の産業とか企業を見ている自治体の役割は非常に大きいのではないでしょうか。 熊田さん もともと、自治体の仕事にはオープンイノベーションのためのマネジメントなんてものはありませんでしたし、成功するかしないかを後押しすることも仕事ではなかったはずです。 自治体の仕事は、最終的には平等性や公平性に行き着きますし、特定の民間企業だけをこう支援していいのかという議論は必ず最終的には出てきてしまいます。そういう意味で、佐賀県の取り組みは、自治体の常識を覆しながら進んでいると感じますし、可能性を秘めてると思います。 ただ、公平性、平等性の議論で言えば、支援する特定の企業を公募し、審査プロセスの透明性を高めることで、「不平等だ」という指摘についても、「そんなことは無いのであなたも応募してください」と説明ができます。 平等性や公平性は仕組みで担保してることをオープンな形で示すことができれば、特定の企業の支援は自治体でも可能なのではないかと佐賀県の取り組みで感じます。 ある種、「平等性、公平性が担保されない」と、後ろ向きな自治体は、自分たちで仕組みを考えることができず、何も仕掛けないことが当たり前になっているのだと思います。今後、自治体の能力、実力で地域差は拡大していくのでないでしょうか。 自分たちのできる範囲でできることをやっていけばいいし、できないのであれば、できる人にやってもらえばいい。できる人が地域にいるのであれば、なるべく地域の人たちを使いつつ、地域にいないのであれば、地域の外から連れてくれば良い。そういう形で広げながら、組織間の関係性を保った上で、全員でなんとかしていこうという心構えが大切だと思います。閉塞感が強まる地方では、総合力で何とかするしかないでしょう。 戦後、日本が進めてきた、中央で集めて、地方に流すというやり方は終わったと感じていますが、今でも地方は待ってる人が多いのではないでしょうか。「いつかまたあのいい時代に戻るんじゃないか?」と幻想を抱いている方もいるかもしれませんが、戻りはしません。待ってる間にその地域はなくなってしまう。そんな時代なのだと思います。 厳しい言い方かもしれませんが、何もやらずに待っているだけで動かなければ、見捨てられます。少なくとも助けて欲しいのであれば「助けてくれ」と言わないといけないし、やりたいことがあれば「やりたい」と言わないといけない。 待っていて救世主が現れて、助けてくれることはもうないと思います。動いた、頑張ったという地域だけが残る可能性があり、頑張らない地域は衰退する運命にあると思います。 熊田憲 1966年宮城県仙台市生まれ。東京理科大学卒業後、石川島播磨重工業を経て、東北大学大学院を修了、研究職の道に。東北大、事業創造大学院大学などを経て、2016年4月から現職。新規事業支援等に関するクラウドファンディングの効果について研究。「佐賀県によるクラウドファンディング:地方創生の実現に向けた影響と効果」「クラウドファンディングと地域イノベーション:ファンド・インキュベーション概念の探求的考察」など多数の論文を発表している。

Jカーブ成長を前提としない佐賀型起業家支援 日本社会に浸透し始めた「ゼブラ企業」との類似点

Jカーブ成長を前提としない佐賀型起業家支援 日本社会に浸透し始めた「ゼブラ企業」との類似点

佐賀県のスタートアップ支援プログラム「Startup Ecosystem SAGA」は、ビジネスアイデア創出からプロモーションまで、6つの手厚い支援策を用意している。じっくり時間をかけてビジネスの中身を磨き上げるその姿勢は、短期間での急成長が必須とされるユニコーン企業だけではなく、より幅広い起業家の実情や課題に応え得るアプローチとして注目を浴びている。長期的な視点に立った起業家育成は、社会課題解決を目標とし、持続的繁栄を目指す「ゼブラ企業」と重なる点が多い。株式会社Zebras and Companyの共同創業者として「ゼブラ企業」の定着と「ローカル・ゼブラ」の普及に取り組む田淵良敬さんに「ゼブラ」の本質と地域発の事業創出について話を聞いた。 ――地域発で活躍をしている佐賀の起業家はまさにゼブラ企業になるのではということで今日はお話をうかがわせていただきます。 田淵さん 実は私の義理の父母が佐賀県出身です。そういう意味では縁深いですね。 ――Zebras and Companyの共同創業者で、代表取締役を務めていらっしゃいますが、どういう経緯で始められたのでしょうか。 田淵さん 私の経歴からお話しますと、約10年前からインパクト投資というものに関わってきました。2014年から15年ごろに、LGT Venture Philanthropyというリヒテンシュタインのロイヤルファミリーがやっていたインパクト投資ファンドに勤めて、15年に日本に戻ってソーシャル・インベストメント・パートナーズや社会変革推進財団で日本の社会起業家への投資や経営支援をしてきました。 やりがいもあったし、楽しかったのですが、同時に問題意識を持つようにもなりました。 日本では2010年前後くらいから、海外だともっと昔からスタートアップやベンチャーキャピタル(VC)が盛り上がりを見せて一大業界のようになりましたが、私が当時携わっていたインパクト投資の世界にも投資ファンドをやっていた人たちがたくさん入ってきました。 VCの手法は、簡単にいうとシリコンバレーにあるような企業に投資して、3年や5年といった短い期間に大きく成長させるというものです。あるポイントを過ぎると指数関数的に事業がスケールしてくる。よく言われるJカーブのように伸びて5年で上場するくらいのサイズ感になるので、それを狙って投資するわけです。 インパクト投資にもその考え方が持ち込まれましたが、世界中にユニコーンと言われる会社はたった1500社ぐらいしかない中で、インパクト投資にその手法を持ち込んでも、投資対象となる会社は限られてしまいます。 一方で、Jカーブのような成長はしないかもしれないけど、持続的な成長をしている社会起業家もいるわけです。自分の事業のステークホルダーにどういうインパクトを与えていくかと考えながら、事業を作る人たちです。資金供給側が見ている世界と、起業家や経営者の間には大きなギャップがある。事業の性質と資金の性質を合わせなければならない。これが、私が持った問題意識です。 そんなことを思っているころ、偶然の出会いがありました。ゼブラという概念はアメリカの女性4人が最初に作ったコンセプトなんですが、たまたま海外のカンファレンスで彼女たちと会う機会があったんです。私は是非日本でもと思い、彼女たちがやっている「Zebras Unite」の日本チャプターを作り、ゼブラの啓蒙を始めました。 図1 Zebras and CompanyのTheory of Change(TOC) これはTheory of Change(TOC)という、我々のビジョンに向かっていくステップみたいなものです(図1)。最初に始めた啓蒙が一番下に書かれていて、一番上の「優しく健やかで楽しい社会」を作りたいというビジョンに向かって取り組んでいるわけです。 今のステージは真ん中の赤紫の部分です。啓蒙の次は実務をしようということで、資金調達をして2021年にZebras and Companyという株式会社を立ち上げました。 ―― 「資金供給側が見ている世界と、起業家や経営者の間には違いがあり、資金の出し手側の事情が先に立ちすぎるとビジネスがゆがんでしまう。むしろ、事業の性質の側から資金の出し方をより多様なものにしていかなければならない」というのは、先に佐賀県の関係者と起業家との対談のなかでもでてきていました。 ところで、今はどんな事業をされているのですか。 田淵さん ゼブラ企業を社会に実装するということで、投資や経営支援をしています。「ゼブラ経営を理論化」と言っていますが、言語化、定量化、概念化といったことに取り組んでいます。 それを活用しながら、いろんな方たちとコラボレーションしたり、パートナーシップを結んだりして、社会に広まるようにしています。 最近、形になってきたのは政策です。2023年度骨太の方針(経済財政運営と改革の基本方針)にゼブラ企業の推進が明記されました。それを受けて中小企業庁と「ローカル・ゼブラエコシステム」推進政策を検討し、2024年3月6日には基本方針と2024年度の実証事業について発表することができました。 今後はさらに上の段階として、我々が関わっていないところでも、ゼブラ経営を行いたいという人、そういう会社をサポートしたいという人が増えてくればと思います。特に、資金面で既存のハイリスクハイリターンの投資とは時間軸やリターンは違うかもしれないけれど、お金を出す意義があるということが広まってほしいです。 日本にフィットしたゼブラ企業の概念 ――ユニコーンは定義づけがはっきりしていますが、ゼブラ企業はどういう位置付けと考えたらよいでしょう。 田淵さん 我々が考えている四つの特徴があります。 1:事業成長を通じてより良い社会をつくることを目的としている 2:時間、クリエイティブ、コミュニティなど、多様な力を組み合わせる必要がある 3:長期的で包摂的な経営姿勢である 4:ビジョンが共有され、行動と一貫している ユニコーンは、時価総額が10億ドル以上で未上場という外形的基準があるんですが、ゼブラ企業についてはそこまではっきりした定義はしていません。「特徴」と言っています。外形的なことよりも、経営姿勢とかマインドセットを大事にしているからです。 ――ゼブラ企業が注目を浴びつつある背景はなんだと思いますか。 田淵さん 世の中のサステナビリティみたいな流れはあると思います。 私がやってきたインパクト投資もそうですし、ESGやSDGs、最近だとパーパス経営などいろいろな言葉がありますが、いわゆる行き過ぎた資本主義や株主至上主義みたいなものが見直されてきた中で、ゼブラ企業もその一つみたいな形で捉えられているのだと思います。 やってみて気づいたのですが、ゼブラ企業の考え方は日本にとてもフィットしていたのです。先ほどお示しした特徴を見ていただくと分かるのですが、実は日本企業、いわゆる老舗企業が持っている特徴や経営姿勢と合ってるんです。アメリカから輸入したコンセプトですが、日本ではすごくフィットして広がっているということで、世界からも注目されています。政策に取り入れられた国は他にあまりないですしね。 ――ローカル・ゼブラが国の政策に入ったという話でしたが、全国の地方自治体もスタートアップ支援を活発化させています。こうした動きは起業家が育つのに寄与するでしょうか。エコシステムとして地域に定着するでしょうか。 田淵さん 一口でスタートアップ支援といっても、いろんな支援があるので、例えばフィンテックをやっているようなザ・スタートアップ、ユニコーンを何社か生み出しましょうみたいな内閣府の政策に合わせた施策を打ち出している地方自治体も結構あります。 一方で、そういう支援策もやっているけれども、本当に自分の地域にユニコーンっているのって内心思っている人たちもいます。ゼブラ企業だったらいるかも、というのは結構言われますね。 国としてはユニコーンのようなスタートアップを後押しするということでやってきましたが、東京などの都会とかだったらまだしも、その政策がどの地域にも一様に当てはまるとは限らないわけです。だんだんみんなそれに気づいてきて、自治体の支援にも多様性が出てきました。 上場は手段 地域にとっての最適が重要 ――佐賀県のスタートアップ支援は先駆的な取り組みだということで他県からも視察に来られています。「Jカーブ自体を否定するわけではないけど、そうした成長だけが唯一ではない」ということを支援の軸にしているので、Zebras and Companyと考え方が通底していますね。 田淵さん 似ていますね。我々も、言い方には気をつけていますが、ユニコーンやJカーブを否定しているわけではないんです。ただ、それを「前提としない」という言い方をしています。それが合うビジネスの方たちにとっては、VCはとても心強い味方になるわけです。同じ目標に向かって走ってくれて、お金も出してもらえるわけですから。 ただ、どんなビジネスもみんな上場しなきゃいけませんとか、Jカーブするということを前提にしてしまうと、手段と目的が入れ替わってしまいますよね。あくまでも上場は手段です。 どちらかというと、適材適所、多様性みたいな話ですね。まさに佐賀県さんがやってらっしゃるみたいに、両方あっていいと思うんですが、上場だけじゃないよねっていうのが重要なんだと思います。 ――これからの地方でのスタートアップ支援はゼブラ的なところに軸足が向かっていくのでしょうか。 田淵さん 内閣府がユニコーンを作ろうと言っているからそれに合わせて、というのは所与の条件ではないと思うんです。自分の地域にどっちが合っているか、どういう政策が合っているかをまさに考えるべきです。そもそもどんな地域を作りたいかというところでしょうね。それとその地域の現状を考えた上でどれが最適なのかを選んでいくということです。どの地域にも当てはまる政策はないわけですし、東京と地方は当然違う。いかに自分たちで考えるかっていうことが重要だと思います。 ビジョン掲げて仲間を作る ――利益追求型の企業は、利益が基準になるので経営面ではある意味分かりやすいです。一方で長期的な視野で社会性を優先させていく企業は、収益性などの業績の指標がおろそかになり、結果的に経営に失敗する可能性もあります。特に地方で起業する上では、人的資源や機会創出の面で都会に比べるとハンデがあるので、佐賀県ではそこを埋めようと支援しています。ゼブラ企業が地方で持続的な経営をするためにはどんな工夫が必要ですか。 田淵さん ゼブラ企業の経営はすごく複雑ですよね。利益追求型はシンプルだけど、それでも経営は難しい。ゼブラ企業の場合は、さらに社会的な軸が一つ増えるのでより難しくなるのはその通りです。これをやれば絶対にうまくいくというものはないので、無数の工夫をしなければなりません。 あえて言うと、特に地域ではいかに仲間を増やせるかが大事だと思います。 仲間は企業にとってリソースになります。我々にも、いろいろな形で協力してくれる仲間がいて、時間やお金を提供してくれています。たくさんの仲間の中から5社ほどが投資してくれています。 もちろん、戦略を作ったり、事業を作ったりするのは大事ですが、まずはリソースサイドをいかに充実させるかが大事だと思います。リソースがあれば打ち手が増えるので、自分たちの仮説も検証できて、成功確率が上がってくる。そうすると事業が出来てくるし、売上が伸びていく。こういう循環を作れるかが重要ではないでしょうか。 ――仲間作りとひとことで言っても大変ですよね。 田淵さん 難しいです。仲間を作るときに必要なのは、地域のビジョンとか思想なんですね。我々の言葉では、社会的インパクトと言い換えられるかもしれない。 社会的インパクトを掲げ、可視化して世に見せるのは、仲間を作るのにすごく大きな役割を持ちます。それを見て共感してくれて求心力が出てくる。集まった人たちがリソースになっていく。それは企業にとっても自治体にとってもそうなんだと思います。だから手段を考える前に、何をしたいという思いがあるかが重要なのです。 社会的インパクトと経営の両立 ――ゼブラ企業は、社会貢献などに目標があって利益優先ではない分、利益を目指さなくていいという言い訳にもなりかねないと思います。せっかくゼブラ企業に対して出資をしようという流れができつつあるのに、潰れる会社ばかりだと資金の流れが止まってしまい、当初の目標である社会課題の解決も遠のきかねないですよね。経営との両立が必要というマインドを広げていくことが必要ですね。 田淵さん その通りだと思います。難しいとは思いますが、だからこそ自分たちも含めて支援者がいるんだと思います。我々も投資先に何年かけてもいいよ、インパクトも何でもいいよ、というやり方はしていません。 投資するときには財務的なところも含めて目標を作り、そこに至るための戦略も作ってサポートしていきます。会社の持続性を無視して潰れられては困るので、そういうマインドセットを持った方たちが増えていくことが大事ですし、それを支援していくことも大事だと思っています。 ――最後に佐賀の地域から起業を目指す皆さんへのアドバイスをいただけますか。 田淵さん 起業されるということは、自分のやりたいことやパッションを持っているはずなので、それをかなえるために柔軟に考えてもらいたいですね。中小企業庁が始める実証事業もまさにそういうことを後押しするためのお金なので、ぜひ使ってほしいです。 ユニコーンでもゼブラでも、既存の枠がこうだから、それに自分たちの事業を当てはめるのではなくて、自分が本当にやりたいことは何なのかということから逆算して、どういう手段を使えばそれが達成されるのかということを柔軟に考えて欲しいです。佐賀県の取り組みもそうですが、探せば世の中にリソースはあるのでうまく使ってもらいたいと思います。 田淵 良敬 日商岩井株式会社(現双日株式会社)、米国ボーイング社を経て、LGT Venture Philanthropyやソーシャル・インベストメント・パートナーズで国内外のインパクト投資に従事。 その後、アメリカの4人の女性起業家が組織したZebras Uniteが提唱した「ゼブラ」の概念に共感し、Tokyo Zebras Uniteを創業。2021年に株式会社Zebras and Companyを共同創業する。 Zebras and Company 共同創業者 / 代表取締役、米国Zebras Unite理事、Tokyo Zebras Unite 共同創設者 / 代表理事。

佐賀藩の遺伝子、佐賀県に 受け継がれる先進性

佐賀藩の遺伝子、佐賀県に 受け継がれる先進性

明治の近代化の立役者とされる佐賀藩。鉄製大砲や蒸気機関を日本で初めて内製化するなど先進技術を積極的に取り込んできた佐賀藩は、有為の材を多数輩出した。中でも進取の精神で日本の近代化を推し進め、早稲田大学を創設した大隈重信の存在は大きい。そうした佐賀藩の遺伝子を引き継いだ佐賀県は今、スタートアップ支援で全国の注目を集める。佐賀県の先進的な取り組みについて、大隈を描いた「威風堂々」(中央公論社)などの著作を持つ作家、伊東潤さん(63)に聞いた。 聞き手 毎日みらい創造ラボ・高塚保 ――佐賀県のスタートアップ支援プログラム「Startup Ecosystem SAGA」は 段階に応じた6つの個別指導プログラムで 起業家の成長に伴走しています。 伊東さん 単にスタートアップ支援をしましょうでは、起業家はついてきません。佐賀県のスタートアップ支援は、しっかりしたロードマップができており、それに乗っていけば企業が形作られていくという画期的なものです。こうした現実的な発想は大隈重信のものに近く、佐賀県人の遺伝子に染み込んでいるのかもしれません。 幕末の志士たちの高潔な志があってこそ、明治維新は成ったかもしれませんが、佐賀藩士たちの参画によって理念は現実的な実行計画に変容し、近代国家日本が形成されていったのは、まぎれもない事実です。こうした大事業は理念だけではだめで、具体的な計画を立てられる人間がいないと成功しません。 具体的に言うと、鉄道を敷設するにも、貧乏国家日本には資本がありませんでした。それゆえ大隈重信などは、どこからいくら借り、いつまでに事業を軌道に乗せ、利益を出して借金を返済できるかといった計画を綿密に練り上げました。こうした大隈の計画性は、富岡製糸場などの殖産興業策全般にわたり、どれだけ日本の近代化に貢献したか分かりません。 現代の佐賀県の取り組んでいるスタートアップ支援も同様で、しっかりしたロードマップが出来上がっており、起業家は安心して身を任せられます。 鉄製大砲を内製できた唯一の藩=佐賀藩 ――佐賀藩は現在の理化学研究所ともいえる精錬方を設立するなど、新しいことを取り入れていく風土があります。その背景をどのように考えていらっしゃいますか? 伊東さん 幕末の佐賀藩には、蘭癖大名と呼ばれた藩主・鍋島閑叟(十代藩主、鍋島直正)がいました。彼はオランダなどの海外の技術を学び、自藩で反射炉を造り、鉄製の大砲や蒸気機関を製造し、それを幕府や他藩に売って稼いでいました。薩摩藩主の島津斉彬も同じように西洋の技術を取り入れ、集成館事業と呼ばれる殖産興業策を推進しましたが、外販には至っていなかったので、佐賀藩の先進性には驚かされます。 そもそも十八世紀末に産業革命を成し遂げた西欧諸国は、植民地政策を取り始め、東洋にも進出してきます。天保十一年(1840)、阿片戦争で清国が半植民地化されたのが典型例ですが、これにより欧米諸国の日本への侵攻が現実味を帯びます。こうした世界情勢を感じ取った閑叟は反射炉の開発研究に取り組みます。 しかしいかに佐賀藩が豊かと言っても限界があります。それゆえ閑叟は「西欧の産業革命は、鉄製大砲と蒸気機関」と認識し、選択と集中を図ります。このあたりが、何にでも興味を持った薩摩藩主の島津斉彬と少し違う点です。かくして佐賀藩は、ペリー来航以前から鉄製大砲を自力で製造できる唯一の藩となりました。 しかし世の中は攘夷の嵐が吹き荒れていました。攘夷思想を信奉し、西欧文明を拒否したのが長州藩・水戸藩・尊王攘夷志士たちですが、その逆に「夷の術を以て夷を制す」の道を進んだのが佐賀藩や薩摩藩でした。この二つの藩の出身者が主力となり、明治維新以降の近代化は推進されていくことになります。 政府移管で地域の工業化が衰退 ――佐賀藩は 日本で初めて大砲を内製化するなど、かつては高い技術力を誇っていましたが、その後、経済的には決して恵まれた状況にはなっていません。佐賀の乱などの影響が挙げられることがありますが、どのようにお考えでしょうか? 伊東さん 明治維新によって士族が身分的特権を失い、不満がたまっているところに、政府内の征韓派が下野したことで、士族たちの不満の持って行き場がなくなります。その頃の佐賀藩には、江藤新平に近い考えの征韓党と近代化に反対する憂国党があり、暴発寸前でした。そこに江藤が帰国することで火に油を注ぐことになり、佐賀の乱が勃発します。 しかし佐賀の乱が、佐賀藩時代から培ってきた佐賀県の産業を衰退させたわけではありません。 薩摩藩も同じですが、斉彬の集成館事業などがすべて政府に移管されたので、地域としての工業化は後退していきます。江戸幕藩体制のよさは、大名当主が自由に藩財政を掌握し、その使い道も好き勝手にできたことで、それがなくなれば地域の独自性や先進性は失われていくのは当然です。士族の反乱が原因だったというよりは、事業そのものを国家に接収されてしまったことで、地域の独自性や先進性が薄まってしまったのが衰退の原因です。 とくに廃藩置県後は、その地域の出身者でもなく、地域の発展にさほど熱心でもない藩知事が任命され、地域性は埋没していきます。その点、現在の佐賀県の山口祥義知事は鍋島閑叟のようにアイデアマンで、独自の県政を行っています。トップのそういった姿勢もあってでしょうけど、例えば、スタートアップやDX(デジタルトランスフォーメーション)についても国や他県とは違った独自の取組につながっているのではないでしょうか。佐賀県の目指す方向性は、これからの県のあり方の一つのモデルとなるはずです。 ――佐賀藩は長崎・出島の警護を務めており、欧州からの情報に触れられたことから先見性があったと言われています。大隈も長崎に出入りしていたようですが、長崎の経験は大隈にどのような影響を与えたのでしょうか? 伊東さん 大隈の父の信保は長崎港警備を専らとする石火矢頭人(大筒組頭・砲台指揮官)で、知行三百石に 物成 (役料)百二十石を拝領しており、上級家臣に名を連ねていました。 石火矢頭人は、佐賀藩と福岡藩黒田家が一年交代で幕府から任命されている「長崎御番」の中核となる極めて重要な役割を担っていました。 信保は数学的知識を持った砲術の専門家で、幼い大隈を大砲の試射場や長崎にしばしば連れていき、大砲の発射教練を見学させていました。佐賀と長崎の間は海上三十里(約百二十キロメートル)ほどで、船を使えば一昼夜で着きます。 四十七歳で死去した父と大隈重信が過ごした日々は長くはなかったのですが、大砲と築城(台場)に強い関心を抱いたのは父の影響だったと、後に大隈は述懐しています。 その後、大隈は佐賀藩の貿易事業に携わり、佐賀藩の特産品を売り、列強から艦船や機械を購入する仕事に就きます。この頃に学んだ国際的な貿易ルールや外国商人との交渉術が、後年大いに役立つことになります。 交渉力と財政運営に優れた大隈 ――大隈は征韓論に反対して明治政府の中で生き残りました。その後、鉄道敷設、太陽暦の導入、郵便制度の整備、富岡製糸場の設立など多くの事業に関わりましたが、こうした大隈の先見性はどこで培われたものなのでしょうか? 伊東さん 一に閑叟の影響、二に佐賀藩の洋学教育、三に義祭同盟(佐賀藩内の尊王組織)での切磋琢磨、四に英語の師であるフルベッキの情報でしょうね。佐賀市にある大隈邸に行った折、蔵のようなところの二階が大隈の部屋で、そこで義祭同盟の仲間たちと夜から朝まで議論していたと聞きました。そうした切磋琢磨の中で近代化の必要性を感じていたのでしょうね。 さらに東京に出てから、英国公使のパークスとの交渉で鍛えられたのも大きかったですね。大隈の交渉力と財政運営力は、こうした幼少年期から青年期にかけての教育や影響の賜物です。現代を生きる我々には、こうした師に恵まれなくても良書があります。とにかく賢人や先達の書を読みまくることで、自ずと道が見えてくるはずです。 先にも触れましたが、大隈は単にビジョンを提示するだけでなく、実現に至るまでのロードマップが描けるところに強みがありました。そこには具体的な資金計画まで綿密に練られており、当時としては驚嘆すべきものでした。こうした実務の才能は、理想ばかりを追い求める志士たちが作った維新政府にとって、いかに重要だったかを痛感させられます。 ――大隈は政治的にも日本最初の政党内閣を樹立するなど、先進性を発揮しました。下野したこともありましたが、返り咲く。大隈の柔軟性というか、しぶとさはどう形成されていったのでしょうか? 伊東さん 日本を近代国家にさせたいという一念ですね。大隈の凄さは、私利私欲ではなく、常に日本をどうするという観点に立てたことです。名声欲や金銭欲など全くなく、大隈は常に大局に立って明治日本の諸問題に取り組んでいました。教育事業に私財を投じたのも、その一つです。ずっと先を見据えていたからこそ、こうしたことができたのです。 佐賀県人の気質は大隈譲り? ――大隈の進取の精神が、今の佐賀県庁のスタートアップ支援に相通じるところはありますか。 伊東さん DXを意識した佐賀県産業スマート化センターによるIT企業とのマッチングなどは、働き方改革につながっていくのではないでしょうか。これは大隈の合理性につながります。スタートアップ支援の取り組みを始めたのも自治体の中では早かったようですが、とりあえず走り出すという佐賀県人の気質は、大隈譲りなのかもしれません。 私は起業家を志望する若者たちに、伸び盛りの業界よりも衰退ないしは停滞している業界に目を向けることを勧めています。そうした衰退産業を起業によって立て直せと言っているのではありません。なぜその業界が衰退したのかを追究することで、大きな学びがあるからです。目を向けるものは未来の新しい技術ばかりではありません。過去の歴史や衰退していった産業から学ぶことが、自分の事業にも役立ってくるのです。 逆に衰退産業が、スタートアップ企業にとっては狙い所ということもあります。衰退産業ほど先入観、思考停止、固定観念にとらわれていて、そこから脱することができません。これらを取り払ったところで新しいものが生まれてくるので、起業家にとって衰退産業は狙い目だと思います。 佐賀県で事業を立ち上げると、衰退産業に目を向けやすいかもしれません。東京にいると見えないものが、距離を置いた方がよく見えるという面もあるでしょう。地域発のスタートアップは今注目を浴び始めていますが、今後ますます注目されていくのではないでしょうか。 伊東潤 1960年神奈川県横浜市生まれ。 早稲田大学卒業後、外資系企業、経営コンサルタントを経て、2007年「武田家滅亡」で作家デビュー。「国を蹴った男」で第34回吉川英治文学新人賞を受賞。現在、BS11の番組「偉人・敗北からの教訓」(毎週土曜日20時~)で解説を務めている。

全は個。個は全。十字架を背負った男たちの起業物語。株式会社WIDE 代表取締役 北原 誠大さん

全は個。個は全。十字架を背負った男たちの起業物語。株式会社WIDE 代表取締役 北原 誠大さん

記事:山本卓(合同会社Light gear代表) 「友達同士で起業はしないほうがいい」。そういった記事を目にすることがある。責任の所在が分からなくなる、公平性がなくなる、意思決定が遅くなるなど、さまざまなデメリットが存在するからだ。そんな一般論を覆すスタートアップが佐賀県にはある。佐賀大学発の株式会社WIDEである。代表の北原誠大さんに、友達同士での起業をするためのチーム作りについて話を伺った。 4人合わせて、株式会社WIDEです。 ――佐賀県の起業家として私と同期の北原さんとこうしてゆっくりお話しするのは初めてで楽しみにしてました。株式会社WIDEについてお話をお聞かせください。 北原誠大(以下、北原)さん 私たちの会社は、主に部活動関連事業とスポーツ関連事業の二つを展開しています。部活関連事業は、2023年3月にリリースした部活動と外部指導者を繋ぐマッチングプラットフォーム「sukusupo(すくスポ)」です。子供たちに専門的な指導を届けたいという想いから始めました。自治体の方とお話をしながら外部指導者や教育委員会などの手が届かない部分のサポートをし、会議レベルから入り、部活の未来を一緒にデザインしていくような伴走支援的なこともやっています。部活動のオリジナルグッズを作り販売できるサービスも始めました。他に、サガテレビと行っている佐賀県内のスポーツの情報が集まるWEBマガジン「かちスポ」のライターといった執筆活動など、スポーツ関連の事なら何でもやっている会社がWIDEです。 ――今まで「すくスポ」をネットニュースやビジネスコンテストなどで目にすることが多かったですが、他にもいろんなことをやっているんですね。 北原さん 佐賀県はプロスポーツが盛んですし、SAGA2024(第78回国民スポーツ大会及び第23回全国障害者スポーツ大会の愛称)がまもなく開催されますので、そういった関連事業を受託させていただいたり、「スポーツ関連の会社」と思ってくださる方が増えてきました。 【左から、三枝(みつえ)功伸さん、永石恒陽さん、山口修平さん、代表の北原誠大さん。】 ――現在、北原さん合わせて4人のメンバーですが、個々でも仕事をしているんですよね。高校の部活指導の仕事は個人で請け負っているんですよね。 北原さん そうですね。高校から「外部指導してください」とお願いされまして。会社とは別には個人の仕事ですが、自分としては指導をしながら現場で得た経験を会社に持ち帰って事業に活かすところがあるので、繋がっています。 ――その他の皆さんはどんな仕事をしているんですか? 北原さん 永石恒陽は、個人では、情報教員を持っていたので、現在敬徳高等学校(佐賀県伊万里市)で非常勤講師として働いています。会社では、サガテレビから受けている『カチスポ』の業務を担当しています。山口修平は、子どものころから野球をしていて、高校ではキャプテンを務めていました。その経験を活かし、個人で、地元の整骨院で子供たちがストレッチメニューするときのサポートをしています。あとは経理関係の仕事を受託しています。会社では、スポーツの教室のイベントなど企画を担当しています。三枝功伸はデザインが得意なので、チラシなどの製作やメタバースのグラフィックの構築などを個人で受けています。会社では、お気に入りの部活を応援するサイトのオリジナルグッズ制作を担当しています。 ――WIDEのみなさんってすごいスキル持ちばかりなんですね!個人で活動もしますが、それぞれがトップとなって役割分担しているんですね。 北原さん 僕も外部指導を個人で行いながら、「すくスポ」事業をトップで進めています。それぞれが個人で仕事をしながら、WIDEで請け負っている事業はそれぞれがトップとなって事業を進めています。これまでいろんなプレゼン大会やネットニュースなんかで取材対応をしているのが僕なので、「WIDEって北原君しか出ないよね」って言われるんですが、WIDEを維持してくれているのは他の3人だったりするんですよね。 【部活動の外部指導を行う北原さん】 きれいごとだけじゃない。教育の世界って課題がたくさん?! ――それぞれがトップとなって事業を行うWIDEですが、小さい頃から一緒の友達で設立されたんですよね。 北原さん 4人のうち3人は小学校からの幼馴染なんです。大学2年生の頃、コロナ禍で大学がオンライン授業になり、地元の鹿島市に4人が戻ってくるタイミングがありました。現在会社がある私の祖父母の家に集まり、オンライン授業を受けたりしながら、寝る時間を削ってずっと話をしたり1年間ほど寝食を共に過ごしていました。 ――秘密基地みたいで、おもしろいじゃないですか! 北原さん 3年生に近づいてきて就職活動を始めないといけないと感じ始めた頃、「将来はどうするの?」と未来について、みんなで話すようになりました。僕は寝食ともに過ごした1年間がすごく楽しかったということもあって、就活するイメージがわかなかった。ただ漠然と「このままずっとこの仲間で一緒にいれたらいいな」と思っていました。 ――それで起業をしようという話になったんですか? 北原さん 「起業ってよくない?」と、はじめに言い出したのは、山口か三枝あたりだったと思います。もともと僕たちは、人と違うことをするのが好きな仲間でした。高校の文化祭で恒例になっていたダンスを欅坂46のダンスに変えました。入学当時からずっと見てきた僕たちは、「恒例行事はなんかサブくない?違うことやろう」と冒険したくなったんです。数十人有志が集まって、文化祭当日までめちゃくちゃ練習しました。最終的に自分たちが作ったもので、みんなが楽しんでくれて認められたという成功体験が忘れられないといこともあって、就職活動ではなく起業という道をみんなで歩んでいこうとなったのかなと思います。 【北原さんの祖父母が住んでいた家は、秘密基地のようだ】 ――北原さんは、前向きに起業を考えていたんですか? 北原さん 本当は安定の道に進もうと思っていました。両親が教員でもあり、自分も教育学部に入学して、将来は教員になるみたいに考えていました。だだ他の3人が起業で盛り上がっている姿を見て「本当に大丈夫なのか」と心配の目で見ていたのがスタートでした。 ――北原さんが起業を決めたきっかけは何だったんですか? 北原さん 実は大学1年生の頃に思うことがありました。教育学部の講義で「教育の世界がいかに厳しい世界なのか?」という、教育現場における教員の労働環境の過酷さについて話してくれた先生がいました。普通の講義だったら、いかに教員という仕事は高貴で素晴らしいものなのかということを基本的に教えられると思うんですが、その先生の授業は「こんな過酷な環境だけど、教員になりますか?」と現実を突きつけられるそんなものでした。 ――リアルを感じさせてくれる講義って、かなり刺激がありますね。 北原さん 講義の中で、取り上げられていたトピックの一つが部活動でした。部活動も教員を苦しめる一つの要因だと教えてくれました。僕は高校生までは部活をする側で、「部活って素晴らしいもの。青春の1ページだ」と思っていたんですが、部活には先生を苦しめているという側面があり、システムとして不完全なモノだと気づかされました。卒業後、教員になってサッカーを教える人生を送ろうと思っていたのですが、「なんかそうじゃないな」と立ち止まったんです。 ――北原さんは、部活動の先にある、甲子園やインターハイなんかでキラキラした世界がある一方で、いい環境でプレーできない生徒がいることも部活システムの欠陥と感じていたんですよね。 北原さん 教員ってたくさんの問題を抱えながら仕事をしている職業だと気づき、講義を受けながら、様々な部活動に関する文献を読み、部活動のメリット・デメリットを調べ、1年生の終わりごろに一本のレポートにまとめました。そんなことを思い出したのが、みんなが「起業したい!起業したい!」と盛り上がっている時でした。僕はみんなに「何も決めていないのであれば、部活動の問題解決ができる起業なら俺も乗りたい」と書いたレポートを手渡し、思いを伝えました。3人とも部活をやってきた人間だったので、共感してくれて、「部活動を僕たちが変えよう」と起業を決意しました。 同じ十字架を背負った熱い絆が生んだWIDEというチーム ――大学3年生の頃ですね。学生時代に起業をすることへの不安はなかったんですか? 北原さん 怖さはあまりなかったです。だた、「何からすればいいんだろう?」と疑問がありました。隠しても仕方ないので全部話そうと思います。実は、WIDEのメンバー全員マルチ商法に引っ掛かり総額120万円借金させられまして。 ――え?マジですか? 北原さん 大学2年生の春ごろですかね。永石が広島でバイトしていた時に「ビジネスについて学べる情報商材があります」と声をかけられたんです。右も左も分からなかったこともあって、永石がまず布教されまして。鹿島市に戻って来た永石が「みんなでこのビジネスやろう!」って誘われ、僕たち全員、「起業するぞ!」ってモチベーションが高かったので、その情報商材を購入するために全員がやることにしたんです。 ――購入っていくらかかったんですか? 北原さん 一人30万円です。大学生の30万円って払えないじゃないですか。マルチ商法の方から「消費者金融で借金してください。この商材買えば30万円なんて半年で返済できますから」と。僕たちは、そういうものなのかなと思って。 ――みんな素直すぎませんか?! 北原さん 今だったらわかるんですが、当時の僕たちは何からしたらいいのか分からなかったので、この人が導いてくれると思い込んでしまったんですね。起業したいと、モチベーションが高い状態の時に、「起業するんだったら、こういうリスクをちゃんと取らないといけない時がある」とか、それっぽく言ってきて。「確かに!」と納得させられていたといいますか。マルチ商法ってことに気づかなかった。それに気づかせてくれたのが、株式会社Dessunの高橋さんです。「部活動の課題を解決するために起業をしたい」とWEB上に記事を書いていたのを、たまたま高橋さんが読んでくれて、DMを送ってくれたんです。驚きましたね。メンバーに「なんか社長さんから声かけられた!どうしよう!」って。すぐに高橋さんにお会いに行きました。起業したいと話をしながら、何も動けていなかったので「実はこんなビジネスを始めようと考えています」とマルチ商法の話をしました。すると高橋さんの顔が曇ったといいますか「それ、絶対アウトなやつだよ」って言われて、そこで気づいたんです。僕たちは騙されていたことに。 【真ん中でピースをしているのが、株式会社Dessunの高橋さん】 ――高橋さんがいなければ、どうなっていたかと思うと怖いですよね。 北原さん 契約書も書かされていたので、取り戻せないだろうと。4人の総額120万円の借金を背負った状態から、僕たちの起業がスタートしました。この話は借金を返すまで言えないなと思っていましたが、返済が終わったので言えるかなと(笑)。 これから起業をする学生さんの役に立てるのならって。 ――身をもって語れるものがあるって財産ですよね。 北原さん こういう経験があったから、この大人が信用できるのかどうかみたいなものは、絶対に見るようにしよう思いましたね。高橋さんと出会い、佐賀県が行っている起業や新しい事業をおこしていくための企画とコミュニティづくりをしてくださるStartup Gateway SAGAに参加することが出来たことは、本当に良かったです。まだ何も成し遂げていなかった自分たちを温かく迎え入れてくださったこのコミュニティにいれば、「僕たちは成長できるんじゃないか」と本気にさせてくれた。 ――Startup Gateway SAGA のイベントでみんな皆勤賞だったですよね。私も皆さんと会う度に成長している姿に、刺激をいただきました。 北原さん WIDEという会社は、異様に仲がいいんです。ただそれだけではなく、1年間、寝食を共にして120万円という十字架をみんなで背負ったことで、「部活動の未来をみんなで作ろう」と本気で目指せるチームになりました。 学生起業家から社会人へ。グラデーションの中での意識したチームの役割 【2023年大学を卒業し、社会へ飛び出した】 ――学生起業家として会社を立ち上げ、卒業し、社会人として仕事を行うWIDE。会社としての意識の変化はありましたか? 北原さん 幼馴染や友達同士の起業っていろんなデメリットがあると言われることがあります。一企業として利益を求めるべきだけど、「現状楽しいからいいよね」って馴れ合いで終わらせてしまう部分があったりして、甘えてしまう部分があります。会社を成長させるより、「倒産しないようにするためにはどうしたらいいか」っていう思考に陥りがちになる。ただ会社2年目に入り、大学を卒業し個人で仕事をしながら会社経営をするようになっていくと、会社への帰属意識が若干薄れてきた部分があり、丸一日かけて全員で話し合う総会を行ったんです。 【丸一日缶詰になりながら、今後の会社経営について話し合った】 ――総会では、どんなことを話し合ったんですか? 北原さん この先委託に頼らず、現状に甘えずに攻めの経営をしていかなくてはいけない。各々で役割を持つことを明確にしようと話し合いました。WIDEの代表は僕ですが、みんながプレイヤーであって、みんながリーダーでもある。同じ感覚でいられるように、友達同士だからできる会社経営の形を目指すことになったんです。 ――この仲間だからできる起業の形が、ここにあるわけですね。 北原さん 僕は教員になるという、目の前に道を掴める状況があった中で、この3人と起業すると決めました。この仲間がいなければ進むことは出来なかったと思っています。自分の心の支えであり、原動力は、仲間の存在だと思っています。 ――これからのWIDEが目指す未来にはどんな世界が広がっているのでしょうか。 北原さん 部活で困っている子どもたちの役に立てる自分たちでありたいと思います。そのために「すくスポ」という事業を広げていきたい。そして、その先の未来は、やはりこの仲間とずっと一緒に仕事をして、ワクワクすることをやり続けていきたいです。 北原誠大さんプロフィール 2000年佐賀県生まれ。佐賀大学教育学部在学中に、高校の同級生と同社を起業。「すべての子どもたちに専門的な指導を」を合言葉に、部活動と指導者が繋がるマッチングプラットフォーム「sukusupo(すくスポ)」を運営する。現在、県内の高校でサッカーの外部指導者も務める。

「地方企業をカッコいいチームが救う?!」デッサンの夢の向こう側。株式会社Dessun 代表取締役  高橋 真哉さん

「地方企業をカッコいいチームが救う?!」デッサンの夢の向こう側。株式会社Dessun 代表取締役 高橋 真哉さん

記事:山本卓(合同会社Light gear代表) 社会貢献のプロフェッショナルNPOとタイアップする企業が出会う、マッチングプラットフォーム「TIE UP PROMOTION(タイアッププロモーション)」や、現在開発中の「トラノマキ」など、システム開発を手がける株式会社Dessun代表取締役の高橋 真哉さん。数々のビジネスコンテストで受賞するなど華々しい活動をしている。地域企業の持続可能な未来をデザインする会社としての夢と、高橋さん自身が描く夢の向こう側について、話を聞いた。 会社の秘伝の書?!を簡単に構築できるサービス「トラノマキ」 ――「トラノマキ」という新しいシステムを開発されていると聞きました。 高橋 真哉(以下、高橋)さん 一言でいうと、従業員向けのマニュアルを、BASE(ベース)やShopify(ショッピファイ)のようなインターネット上で商品やサービスを販売するウェブサイトのように簡単に作成できるサービスです。会社内で作成されたマニュアルをより簡単に構築し、情報共有できるのが特徴です。 ――マニュアルって、作業の手順や流れを書いているものですよね。 高橋さん 例えば、飲食店に入社した際、お客様への対応や調理方法など、飲食店としてのマニュアルがあると思います。それって紙で渡されませんでしたか? あれって1回見たら、一生見なくないですか。マニュアルを作成しても、一生見ない場所に置かれてしまうことがあります。これは飲食店に限った話ではなく、企業も同じです。残業に関するルールや福利厚生の使い方など、会社には様々なルールがあります。散らばった情報を従業員がアプリ内で閲覧できるようにすると、教える側としても新人研修などの際に時間を短縮でき、学ぶ側もすぐに確認でき業務効率が上がるようになり、会社としての成長スピードが早くなると思います。トラノマキのシステムを使用してマニュアルを見える化することで、業務効率化につながると考えています。いわゆる会社のルールブック「虎の巻」みたいなものをテキスト化してまとめておく提案です。 ――面白い事考えますね。 高橋さん 現在はまだベータ版ですが、システム開発中にも関わらずお客様からの反響が大きく、多くの経営者が抱えている課題にアプローチできるシステムだと感じています。 【ホワイトボードに書いてわかりやすく説明をしてくれている高橋さん】 ――経営者が抱える悩みって、どんなことが多いんですか? 高橋さん 企業の課題は多岐にわたり、業績の課題や新規事業、後継者問題などがあります。全国的にもそうですが、佐賀でも人口減少が課題とされている中で、人材採用にも多くの企業が悩んでいます。 ――高橋さんはIndeed(インディード)の日本立ち上げメンバーとして3年間、その後リクルートにも4年ほど出向していましたよね。採用に関しては、その道のプロ。採用事業という側面から見る今の佐賀ってどう感じていますか? 高橋さん 採用を考えると、佐賀県全体の人口が減少傾向にあることが課題と考えます。人数が少ない中での人材争奪戦が続いており、「こっちが採用すればあっちが損する」という状態です。全体の人口や若年層の数を考えると、地方で少なくなるのは仕方ないことだと思います。例えば100人の会社があったとします。従来は100人で全ての業務を行っていましたが、採用が難しくなり90人で対応する必要が生じた場合、仕事の負担は1割増えることになる。これが離職率の上昇につながる要因となります。これが現在の日本の状況です。もちろん、私はこの課題に対し、10人を採用するといった方法もありますが、1人あたり1時間の業務を削減できるシステムを導入するとどうなるでしょうか? ――100人で1日100時間の工数が減る。 高橋さん それを20日間やろうと思ったら2,000時間です。2,000時間って大体18人分の労働時間にあたります。会社は18人分必要なくなるんです。 【開発中のトラノマキのシステムの立ち位置の図】 ――ということは、100人でやっていた仕事が、82人で済むとなると、人件費の削減にも繋がりますね。 高橋さん 82人の仕事を90人でやるとなると、従業員の満足度はめちゃくちゃ高くなるじゃないですか。これからAIの進歩により、人の仕事って奪われる可能性が十分ある。そんな中で目の前の10人を採用していくことにだけに、重きを置くことに疑問を感じました。企業として30年後も40年後もその人を雇用し続けられますか? 経営者として疑問だと思うんです。だとしたら、早い段階で「システム開発をし、10人分の仕事がまかなえるのではないか?」と仮説を立ててから進んでいく提案をした方がいいのではないかと私は考えています。このトラノマキという自社サービスは、マニュアルを見える化するシステムです。マニュアルを自分のスマホで確認できるようにすることは、離職率を下げる一つのソリューションになるし、業務効率化や業務改善など企業課題を解決できる一つのツールになると考えています。私ができる採用課題に対するソリューションは、リアルに採用していくことも可能ですし、システムを開発して業務効率化を行い、従業員の負担を軽減させることもできます。 トラノマキのきっかけは「ムツゴロウを釣る人!?」 マニュアル化は未来をデッサンする方法 ――今やIT企業として、多方面で活動している中での、今回の「トラノマキ」というマニュアル作成アプリの開発。このシステムを作ろうと思い立ったきっかけは何だったんですか? 高橋さん 佐賀県鹿島市で打ち合わせをしている時、ある方のお話を聞きました。ムツゴロウの伝統的な釣り方を継承している最後の一人がいるが、後継者がおらず、その方がいなくなれば伝統が途絶えるという話でした。このことを聞いた時に「そういった後継者不足って田舎は特に多い」と思ったんです。たとえば、町の中華屋さんのチャーハンが美味しかったとしても、後継者がおらずその味が次の世代に受け継がれない可能性があります。この後継者不足という課題は地域だけでなく、中小企業でも起こっていることです。文化や歴史、知識が途絶えることは社会的にもったいないと思いませんか? 【有明海のムツゴロウ】 ――確かに。 高橋さん 担い手が現れず文化や歴史・知識が途絶えてしまう。「それは何故だろう?」と考えたんです。いろんな要因がありますが、一つとして「社長がやっている事を知らない」ということがあるんじゃないでしょうか。「背中を見て、目で盗め」ではなく、「社長のやっている事をマニュアル化できたら良いのではないか」と考えたのがきっかけでした。 ――マニュアル化することで、知識や情報の引継ぎにもなるということですね。 高橋さん 中小企業の社長さんが行っている業務、たとえば銀行取引などは、社長一人で覚えている場合が多いでしょ。メモに残していない情報がたくさんあると、いざ誰かに会社を引き継ごうと思ったときには時すでに遅し。会社経営は社長にしかできないことが多いため、引き継ぎができなくなるという問題が生じます。そうならないためにも、経営者の知識や会社ルールを一つのマニュアルにまとめ、次世代に引き継ぐ準備をすることが、10年20年と企業の持続的な未来を描くことに繋がるだと思います。 ――もともと存在していた知識や経験など会社のルールを、言語化させる。そんな感じですね。 高橋さん 背中を見て盗めと言ってたお寿司屋さんで、シャリを作るのに5年かかっていた従業員が、このトラノマキで自分のスマホで確認することが出来るとどうなりますか。 ――従業員の成長スピードが上がる。 高橋さん そうです。覚える手間を効率化し、教える手間を省くことは、業務改善や技術の継承につながります。有田焼の製作過程などもマニュアル化すれば、「有田焼を焼いてみたい!」と後に続く人が出てくる可能性もある。 【ひとつひとつの言葉を丁寧に説明してくれる高橋さん】 ――マニュアルがあることで未来を描くことに繋がる。持続的な企業の未来はDessunのミッションとイコールするわけですね。 高橋さん そうですね。会社経営をしていると突然、経理や要職の人材が辞めてしまうことがあると思います。そういった時に、このトラノマキに会社のマニュアルを集約しておけば、助かる経営者がたくさんいると思いませんか。私は、ムツゴロウのお話のように「10年後の未来が描けない」と悩む経営者の助けになりたいんです。 経営に触れた瞬間に感じた想い「経営者の為だったらなんでもやります」 ――そうした高橋さんの想いは、Indeed やリクルートで働いていた時代に培ったものなのでしょうか? 高橋さん 当時の仕事は、採用のサポートのみをしてきました。「そんな年収じゃ採用できませんよ」とか、私自身、採用についてなんかすごく簡易的に考えていました。採用のやり方について教える感じだったんです。ある時期、香川県の会社の顧問になった時に、PL(損益計算書)を見せていただいたことがありました。そこには、売上や原価が書いてある中で、人件費のコストが全体の7割を占めていました。尚且つ最低賃金上昇時期だったことも加味している時に、「売上があって、それから人件費などいろんなものが引かれて最後に残るお金ってこれなんだ」とわかりました。これまで2次元で考えていた経営というものが、もっと複雑化して見えました。世の中って単純なものではなく、いろんなものが複雑に混ざり合っている。採用って会社を運営する中での一つのツールでしかないんだと気づかされました。 ――いままで見ていた世界観が広がったんですね。 高橋さん 当時の私は、会社に何人採用できたか、という世界感で仕事をしていました。しかし、採用の本当の目的は「売上向上とその結果会社にどれだけの利益をもたらすことができるのか」にあることがやっと理解できたんです。それがきっかけでIndeedを辞め、佐賀で起業することにしました。 ――高橋さんとお話していると、仕事においての経営者の方への想いが強いイメージがあります。なぜ経営者の助けになるシステム開発に重きを置いているんでしょうか? 高橋さん 私は田舎の社長が大好きなんです。地域を盛り上げることはどの地域でも必要で、その地域を盛り上げている地域企業の経営者の味方であり続けたいと思うのが、システム開発をする理由だと思います。 【誰の為のシステムなのかという問いは、高橋さんの根本にある想い】 ――今でも、仕事をする際に大切にしている想いはなんですか? 高橋さん Indeedには「ジョブシーカ―ファースト(求職者を一番に考える)」という言葉がありました。Indeedが決めたルールに、某大手企業がそぐわないとして広告掲載を打ち切ったことがあったんです。 Indeedは広告業というものなので、企業からお金をもらって経営をする会社です。お金も当然大切なのですが、企業よりもジョブシーカ―(求職者)を大切する理念を目の当たりしたときに思った「誰のためのサービスなのか」という軸は、今の私の仕事をする際に、もっとも大切に考える想いだと思います。 ――高橋さんにとっての、誰の為のサービスなのかの誰は“経営者”なんですね。 高橋さん 人を採用している経営者をめちゃくちゃリスペクトしています。だって人件費ってものすごく高くないですか。一人を採用するのに年間500万円必要だとして10人だったら、5,000万円でしょ。人件費を払いながら、会社を経営し続けている経営者は、私にとって全員を尊敬します。だから、どんな手段であっても、私は経営者の為、力になりたいんです。 高橋さんがデッサンする夢の向こう側 ――Dessunを今後どういった会社にしていきたいですか? 高橋さん 「企業の持続的な未来を描こう」っていうのがうちのミッションです。そのためには何をしてもいいんじゃないって思ってるんですよ。企業が5年後も10年後も、100年後も生き続けるために、何かうちのサービスとか、僕のノウハウとか従業員のノウハウとか、そういうのを掛け合わせた上で、その企業がより持続的にその経営を行っていく手助けができたらと思っています。 【会社の事ではなく、自分自身の夢について語る高橋さん】 ――夢の為に手段を択ばない姿勢。めちゃくちゃカッコいいです。 高橋さん 抽象的なんですけど、憧れられる会社になりたいんです。「Dessunみたいな会社を作りたい」と思ってもらえる会社にしていきたいと思っています。佐賀ってなんで人口減少しているのかと考えた時に、「魅力に感じる企業が少ない」のではないかと思います。だから就職の為に県外へ人が流れる。魅力的な企業が増えることで、就職先が増え、大学も増え、住む人も増えると、中学校や小学校も人が増えていく。だから魅力ある企業が増えることが佐賀県の人口減少を食い止めるきっかけになると思っています。それに… ――それに? 高橋さん うちの会社は現在7名が働いてくれています。会社の暗黙のルールみたいなものですが、「仕事は会っている時にはしない」んです。トランプや麻雀などで遊んだり、みんなでおいしいご飯を食べています。普通の会社では考えられないことかもしれません。そして2年後には年収1,000万円を全員が稼げるようにする。仕事は遊びながらも、やる時は集中して完璧なものに仕上げる7人のプロフェッショナルな組織にしたいんです。 ――その会社、めちゃくちゃカッコいいじゃないですか。なんか漫画ワンピースの麦わら海賊団みたいですね。 高橋さん 一番遊んでいて、一番給料をもらっていて、一番楽しそうな、カッコいい集団にしたいんです。(笑) そんな私たちDessunが、経営者が困っている時に現れたら、経営を立ち直せるみたいな感じになりたいですね。私の会社のようなIT企業は、どこにでも作れると思うんです。Dessunが、佐賀の中での新しい会社の一つの見本になれる気がします。そうすると、きっと佐賀という地域への社会貢献にもなるんじゃないかなと思っています。 高橋真哉さんプロフィール 1983年東京都生まれ。Indeed Japan初期メンバーとして入社し、上場企業を中心とした100を超える採用に携わる。その後、Indeed初のリクルート出向を行い新プロダクトの開拓および、リクルート系代理店のマネジメントを行う。2020年に自社プロダクトに着地するサービスは顧客への本質的なサポートでは無いと考え、株式会社Dessunを創業し中小企業の顧問事業も務めている。

土壌フローラが農業を救う!?土壌診断で無農薬・減農薬農業を支えたい。合同会社土壌診断用バイオセンサー研究会代表 橋本好弘さん

土壌フローラが農業を救う!?土壌診断で無農薬・減農薬農業を支えたい。合同会社土壌診断用バイオセンサー研究会代表 橋本好弘さん

記事:高塚保(株式会社毎日みらい創造ラボ) 土の健康診断で無農薬・減農薬・減化学肥料の土作りを支援したい――。合同会社土壌診断用バイオセンサー研究会の橋本好弘代表(65)によると、土の中にいる微生物の状態(土壌フローラ)を診断することで、その土が健康か、病害虫に対する抑止力が弱いかが分かるという。健康な土だと分かれば安心して次の作付けができるし、抑止力が弱いとなれば太陽熱土壌消毒やどのような堆肥を使うべきかアドバイスができる。経験や勘に頼る土作りからデータに基づく土作りをすることで、有機農業や減農薬農業の大きな手助けとなる可能性がある。国は2050年までに耕地面積に占める有機農業の取り組み面積を25%にまで拡大する方針を掲げており、橋本さんがもつ技術に有機栽培農家などからの問い合わせが相次いでいる。 退職して起業!安心安全な食を応援したい! 橋本さんは長崎市出身で、九州大大学院農学研究科で博士号を取得。2001年に種苗会社「株式会社サカタのタネ」に転職し、土中の微生物の状態をみることで土の健康度が分かるバイオセンサー装置の開発に、産業技術総合研究所、東京工科大と共同で取り組み、成功した。その後、会社の方針変更で装置の販売ができなくなり、退職後の2021年に装置の普及と土壌フローラ診断を広めようと合同会社を設立した。 ――どんな思いで合同会社を設立したんですか? 橋本好弘(以下、橋本)さん サカタのタネで微生物活用プロジェクトを立ち上げるということで転職し、検査装置の開発にまでこぎ着けました。しかし、リーマンショックなどの経済環境の変化や経営層の交代などで、サカタのタネではバイオセンサーを事業として展開することができなくなってしまいました。お蔵入りになってしまったのですが、サカタのタネを定年退職する際、当時作った装置を譲ってもらうことができたので、自分でこの事業をやっていこうと考えたわけです。有機農業への国内での関心が高まっていることもあり、安心安全な食の提供につながる農業を応援したいという気持ちもありますね。 ――橋本さんの土壌診断は他の診断と何が違うのでしょうか? 橋本さん 土の診断は大きく分けて三つあり、化学性と物理性と生物性があります。化学性は土のpH(酸度)や養分などのことで、これをもとに窒素やリンなどの肥料の量を判断するための診断です。物理性は土壌の水はけですね。排水性、通気性、保水性など物理的な状態をみます。通気性、排水性が悪いと酸素が土中に供給されず、植物の根が窒息して根腐れを起こしやすくなります。生物性というのが、私がやっている土壌微生物診断になります。肥えた土や肥沃な土と呼ばれるものは、有機物や微生物を豊富に含んだ土のことをさします。これらとは別に病原菌を見つける方法もあります。コロナ禍の時によく出てきましたがPCR検査や抗体検査などですが、見つけられる病原菌は限られています。 【畑から採取した土を診断するために水に溶かす橋本さん】 ――土壌診断は何がいいのでしょう? 橋本さん いろいろな診断はあるのですが、土の健康状態が分かるのが現場の農家の方々には最も役に立つと思うんですよ。人間でもインフルエンザが流行っていても感染する人としない人がいますよね。抵抗力が弱まっている人は感染する。植物の場合、土壌に抵抗力があるのか、そうでないのかが、農作物が病気になるか否かに関わってきますので、土が健康かどうかをみるのが大切なんです。ですので、農家の方にとっては土の健康状態、土壌フローラの状態を見ておくことに大きな意味があります。 ――有機栽培に限らず、診断には意味があるということですね。 橋本さん そうですね。有機栽培に限らず土壌の状態を知っておくことは意味があります。農薬や化学肥料を使っている農家さんでも、使用量を減らしたりすることにつなげられると思います。 ――価格的には利用しやすいのですか? 橋本さん 他の土壌診断では1回の検査が3万円というものがあります。私たちは1回3,000円で提供していますので、価格で言うと10分の1です。大きい会社や法人であれば3万円でも支払うことができるかもしれませんが、私たちは大規模なところではなくても使ってもらいたいという思いから価格はできるだけ安くしたいと考えました。 【最新のバイオセンサー。佐賀県からの補助金を活用して開発した】 実際に土壌診断を利用している有機JAS認定農園の久保利雄さん(71)と南昭彦緒さん(64)にも話を聞いた。 ――橋本さんのバイオセンサーはどうですか? 久保さん 10月23日に検査に出したのですが、翌日には検査結果が出てきました。結果が早く出るのでいいですね。 橋本 土1グラムに100億を超える土壌微生物がいて種類も多いものですから、それを1個1個分けて調べるときりがないんですね。なので、外から入ってくる微生物に対してどれだけ押さえ込む力があるかをバイオセンサーでは診ているんです。個別の微生物がどれだけいるかは調べず、全体としてどれだけ押さえ込む力があるかを診ています。ですので短時間で診断できるという利点があります。 ――診断結果を踏まえて、久保さんはどうされたのですか? 久保さん 私の畑は米ぬかを主としたぼかしを肥料として使っており、それでずっと育ててきた。それがいいのか、悪いのか、地力があるのかないのか、分からないわけです。同じハウスの中で、1年でカボチャ、カボチャ、スナップエンドウと栽培していて、その繰り返しでした。今回は診断結果を踏まえて、橋本さんのアドバイスもあり少し牛糞堆肥を入れてみます。家畜の堆肥は一度使ったことがあるのですが、スナップエンドウの先のところに小さい虫が入ってしまった。そういった経験があったのでなかなか使えなかった。 ――今回は大丈夫ですか? 久保さん 牛糞堆肥の加減でしょうね。それを橋本さんと相談しながらやっていきます。 橋本さん 人間と一緒で土壌微生物にとってもいろんな物を食べさせた方がいいんですね。 ――南さんはバイオセンサーの何に期待していますか? 南さん 窒素、リン酸カリが足りませんから窒素を入れて下さいよ、というのであれば、化学性診断をやり化学肥料を使えばいいのですが、有機栽培ではそういうわけにはいきません。化学肥料は使えないわけですから。だからバイオセンサーで土の状態を調べる方が、有機栽培には向いていると思います。 橋本さんの合同会社の収益は3本柱。これまでのところ、収益の柱で一番大きいのは肥料資材メーカーからの依頼による栽培試験だそうだ。橋本さんの畑でブロッコリーなどの栽培試験を行い液肥の効果を評価している。二つ目は土壌分析で、今後はバイオセンサー装置の販売も手がけていきたいと考えている。 ――その中でもとりわけ強化したい分野はどこでしょう。 橋本さん 農家さんが手軽に使える診断をみんなに使ってもらい役に立ちたいですね。 妻の橋本禎子さん 農家さんとりわけ有機農家さんの力にきっとなれると思うんですね。健康で安全な作物を栽培する力になれると思うので、そこを強化していきたいですね。 橋本さんは佐賀県が行っているスタートアップ支援事業に応募し、積極的に活用してきた。ビジネスを創出するStartup Gateway SAGAを2022年、資金調達に向けた磨き上げを行うStartup Boost SAGAに2023年8月から参加しており、関係企業などとのつながりを構築するStartup Connect SAGA、PR・広報などを学ぶStartup Promote SAGAにも2023年6月から参加している。 ――佐賀県のスタートアップ支援プログラムを受けてこられてどうでしたか。 橋本さん まずGatewayではアワードを受賞でき、今年度は「Startup Launch事業化補助金」にも採択され500万円の補助金を交付いただいています。これでバイオセンサーの新しい装置を作っており、年度内に完成する予定です。また、ホームページもリニューアルしたことで、以前より問い合わせも増えました。さらにConnectでは「もう少し微生物を分かりやすく説明した方がいい」という指摘もあり、土壌微生物をキャラクターにして微生物の役割を分かりやすく説明するといったことにも取り組んでいます。一人ではこれだけのことはとてもできなかったでしょう。支援とアドバイスがあってここまでこれたと思っています。 橋本好弘さんプロフィール 1959年長崎市生まれ。九州大大学院農学研究科で博士号を取得。2001年に種苗会社「株式会社サカタのタネ」に入社。2020年サカタのタネを退職。2021年土壌フローラ診断を広めようと合同会社土壌診断用バイオセンサー研究会(SDB研)を設立した。

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株式会社すみなすが『Forbes JAPAN』のNEXT100に選出されました!

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Forbes JAPANの「NEXT100」とは、 「多彩な新・起業家たち100人」にフォーカスした企画で、地球規模から社会、地域まで様々な課題に対して、アントレプレナーシップを持ち、「自分たちのあり方」と「新手法」で挑む起業家やリーダーたち100人を「NEXT100」としたとのことです。 そんな、100通りの「世界を救う希望」の1つに選ばれた株式会社すみなす、社長の西村さんのピッチは3/19に開催した SAGA Innovators Talk Liveのアーカイブ動画でご視聴いただけます! https://www.youtube.com/watch?v=gnXMuOHPkRU t=6156s

2024.05.01

令和6年度「Startup Connect+ SAGA」支援希望企業の募集を開始いたしました!

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佐賀型のスタートアップ支援(機会提供)のひとつであるStartup Connect+ SAGAで支援希望企業の募集を本日開始いたしました! 従前のマッチング支援である【一般枠】に加え、海外へのビジネス展開を考える起業家向けに【グローバル展開枠】を新設🌎 国内外でのビジネス拡大に意欲を持つ方は、 こちらのリンク先 より内容ご確認のほどよろしくお願いいたします! 応募フォームは こちら 【一般枠】【グローバル展開枠】のいずれかを希望しご応募ください!

2024.04.26

R6年度 Startup Promote+ SAGA 支援希望企業の募集を開始いたしました!

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令和6年度のStartup Promote+ SAGAの支援希望企業の募集を開始いたしました! 今年度より”+(プラス)”が付き、「Promote+」と名を改め、事業の内容を拡充しております。 従来のナラティブ構築やメディアでの情報発信の支援を「一般枠」として継続しつつ、 新たに「実戦的課題解決枠」として模擬記者会見などの実践を通じたコミュニケーションスキルの習得支援を実施します! 対象企業は以下のとおりです。 ①一般枠:各個別指導プログラムの採択者等 ②実戦的課題解決枠:Promoteの過去採択者 いずれも応募期限は5月2日(木)で、プレゼン審査を5/10(金)で予定しております。 詳細や応募方法については >こちらのリンク< を御参照ください!

2024.04.22

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